ヘルツによる電波の発見、マルコーニによる伝播実験、モールスによる電信符号の制定などなどから約1世紀すこし、考えてみればラジオの歴史はそれほど古いものではありません。それにも関わらず、これまでに我々の生活を、とりわけ情報の歴史を変えてきたものは他に類をみません。  

その歴史の中にあって、日本のアマチュアは、実に4分の3世紀という長い時間を刻んできたことになります。この11月15日、日本アマチュア無線連盟の創立75周年(正確にはすでに昨年迎えていたわけですが)、戦後アマチュア無線再開 50周年を祝って、盛大に記念式典を挙行しました。  

式典会場には片山総務大臣、内海ITU事務局長、および世界各国からの来賓をお迎えしたのですが、その中でW5JBPジム・ヘイニーARRLL会長の出席は古くから友好関係を保つ日本のアマチュアにとって大変嬉しいできごとでありました。  

今回ヘイニー会長は、ご夫人とお孫さんのお二人と共に来日されたのですが、少ない時間ではありましたが、私がお供して、東京周辺をご覧いただくことができました。富士山、お城、お寺、神社、日本庭園、そして新しい東京のシンボルでもあるお台場付近などなど、きっと良い想い出を作られたことと願っております。  

奥様はとりわけ浅草の古い町並みに興味を示され、単独行動でも地下鉄を使ってなんどか足を運んだと伺いました。孫のクリス君はまだハムの免許を持たない14歳ですが、今回はとりわけ刺激されたのでしょうか、ハムの限りない友情を目の当たりに見て、帰ったら、すぐ免許を取るのだと張り切っておりました。  

W5JBP ハムショップにて

このようにアメリカでも若年層のハムの減少が目立っているようです。ARRLとしても特別のプログラムを作って、学校中心に教育を行うとか、Webページでも新しいハムの養成のプログラムを開始したとのことです。

うらやましいのはアメリカでは、ある種の寄付行為に対しては免税措置がとられることから、ARRLでもすでにハムに関係のない業界や、団体などからも多大の寄付を集めてこれらの事業の推進に当たっています。  

もちろん政府関係を始めとする方々にもっと良くアマチュア無線を知っていただくために、映像によるPR素材を作っている最中とも伺いました。これらをCDあるいはDVDに加工して関係者に配り、より一層の理解を求めていく方針です。  

現在アメリカのハムは50万ともいわれますが、日本よりも組織率が高いのも事実で、うらやましい限りです。日本でいうところの会費前納会員(終身会員)の率は約12%ですが、日本よりもはるかに良い金利に助けられて財政的にはまだ日本ほど深刻な事態にはなっていないのですが、なににもまして会員のボランティア精神によってARRLが支えられているのは間違いありません。

W5JBPジム・ヘイニーARRLL会長(左)と筆者

もう一つ際立っているのは昨年 9月11日の同時多発テロの結果、アマチュア無線の力、役割が再度大きく取り上げられたことでしょう。日本にも台風、地震の自然災害がありますが、アメリカでもハリケーン、竜巻、洪水、山火事などの災害が毎年報じられています。

そしてそれらに対応するアマチュア無線家の活躍が政府を始め地方自治体やコミュニティで大変高く評価され、ハムはかなりのステータスと市民権を確立しているのです。

ややもすると遊びに見られがちな我々の無線活動ですが、かの国では格段に意義を異にしているのがわかります。その証拠にはアマチュア無線を「趣味」とは決して呼ばず「サービス」とうたっていることからもうなずけます。

日本の無線も次ぎの25年、そしてJARL100年に向かって、心強いスタートをしました。その歴史の中の一員であることに深い感慨を覚えた一週間でした。(2002/11/18)

 
     

 
 
 
私事ではありますが、9月ごろから腰部に微妙な異常を覚え、それが次第に顕著になって明らかな腰痛になり、病院ではX-RAYからMRI 検査までやる始末になりました。ところが幸か不幸か、検査ではなんの異常も見つけられず、ただ本人だけが痛い、痛い という日が続いている状況です。

原因がはっきりしないだけに対処の方法もないということで、ひたすら時間頼みなのですが、一向に良くなる気配が無く今日に至っております。せっかくの移動シーズンも他の方のサ―ビスを受けるだけで終わってしまいました。  

ただ、まだ五体健全であった? 8月上旬は元気そのもので、折から友人とのミーティングを兼ねて山中湖まで出かけることになりました。自宅から山中湖までのルートはいろいろあるのですが、どうせ行くならと思い立って途中数箇所でオンエアーを試みました。  

手始めに東名の海老名サービスエリアで小休止のついでに2〜3局、そして厚木インターで降りてそのまま愛甲郡まで進みます。まずは愛川町から電波を出しました。ここは前にも来たことがあってあまりお呼びがありません。

それともコンディション?そして人工の宮が瀬ダムを望む清川村で再度電波を出します。とても暑い日で陽だまりでの運用は堪えます。いたずらにバッテリーを消耗したくないので、エアコンを切っての運用ですから限りがあるというものです。

さて次なるポイントはと道志道を通って山梨県へ。道志村では村営の温泉「道志の湯」でひとまず汗を流します。ほかにも1〜2軒温泉もありますが、ここは初めてです。

さすが村営とあって安いのは良いのですが、さすが土曜日とあって混んでいます。風呂もそこそこに運用開始。ここは時間帯も良かったのかずいぶん呼ばれて楽しみました。  

最近は「道の駅」からのサービスも多くあり、道志にも道の駅がありますから、そこからの運用も考えないではなかったのですが、折からCW中心のQRVでもあり、いちいち「doushi-michinoeki」なんて長く打つのも面倒なことから、素直に道志の湯からの運用となったものです。  

やっと目的の山中湖村に到着しました。数名の同士(こちらは道志ではない)と合流して別荘にアンテナの架設と調整を行います。HF帯の八木アンテナと7MHzのダイポールが完成しました。もちろんテスト、テストと言いながら一番最初にリグにかじりついたのは私でした。  

山中湖村は山中湖に面した避暑地の代表のようなもので、環境は実にすばらしい(いたって涼しく、樹木も多く)ところですが、なぜか電波の飛びは今一です。たぶん富士山が目前まで迫っている地形のなせる業でしょう。

前にも何度かサービスする局と出会っているので、必ずしも特に珍しいポイントではないのですが、それでもHF帯で運用する常駐局は少なく、7MHzのSSBではしきりに呼ばれました。  

折からフィールドデーの開催と重なったスケジュールだったので、特別の準備もないまま、そのままコンテストに突入しました。たぶん普段波を出している横須賀市などと違って、その日は少なくも7MHzでは唯一の17008(南都留郡)だったせいでしょうか、ニューマルチを求める人から呼ばれて思いがけず健闘しました。
終わってみれば250余局とのコンタクトです。商業電源だったので電源マルチ(バッテリー・発電機等の独立電源であれば2倍の得点になる)が付かず、スコア―的には限界があったのですが、それでも久々のやや本格的コンテスト参加でした。  

戦い終わって日が暮れて、再度SSBでのサービスが続きます。そして翌朝も引き上げ寸前までコンタクトが続きました。道中のQSOやらコンテストやらを含めると、実にトータル500局あまりの成果です!と喜んだのはここまで、戻ってからはログの整理やら馬鹿になりません。  

そして冒頭に戻って、腰痛のお陰?でQSLの発行もままならず、本日に及びました。そろそろPSE QSLのリクエストも集まり始めています。こんなことで年は越したくないと頑張ってQSL制作に着手しました。

どうせポータブル運用ですから、一目でわかるようにと「JA1AYC/1」のカードができあがりました。移動運用もサービスもまことに結構、楽しいものでありますが、必ず「つけ」が回ってくることを改めて思い知った次第です。  (2002/12/5)
     
 
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