自分のコールサインと同じサフィックスの局との交信にはとりわけ親近感を覚えます。それがDXの局であればなおさらです。これまでに数エンティティの同じサフィックスの局に出会いました。

このOK1AYCもその一つです。 残念ながら最近のOKへの旅行では時間もなく、場所も離れていたと言うことでアイボールQSOの機会がありませんでしたが、いずれはこれら同じサフィックスの誰かにどこかで会いたいものと願っています。

いくらメンコ集めと言われようとも、毎月ビューローから転送されるQSLカードを心待ちにしています。もしそれが新しいエンティティのものであるとか、新しい市郡、町村のものであるとか、あるいはバンドニュー(そのバンドで初めてのコンタクト)、モードニュー(そのモードでは初めてのQSO)ともなればことさらです。

すごいパイルの中から拾ってもらった感激、思いもかけない人からコールされた驚き、永年追い求めてやったQSOに至った胸のときめきなど、さまざまに蘇るのです。

DXペディションのカードともなるとビューロー経由は少なく、ほとんどがSASEの戻りですが、遅い時には 2年も 3年もたって返ってきます。ダイレクト分のリストにチェックマークを入れて、これでやっと一つ上がりと満足感が伴います。

でも、シャックで 3万枚は下らないQSLに囲まれていますと、一つ一つとはいわないまでも、忘れられないQSLカードが沢山あります。そんな思い出の中からいくつかを選んで、ご紹介がてらQSLカード談義といきましょうか。 (2000/6/4)
 

 
     
 
    

すでにご存知の方もあろうかと思いますが、ARRL(アメリカの連盟)副会長兼事務局長として国際的にも活躍しているディヴィッド・サムナーさんです。

お忙しいのは人一倍で今年も世界各国で開かれている会議等に出席したり、デイトンに現れたり、東奔西走の毎日ですが、ハムの虫は相変わらず健在です。

筆者のいただいたWAC(世界 6大陸交信証)のサイン(1988年当時)にも彼の名がありますから、少なくもそれ以前からこの要職にあったのは間違いありません。 それにも関わらず良くワッチもされ、また電波も出されているようです。

事実、筆者も14,21,28MHzの 3バンドでQSOしている他に、今年 1月にサイパンに移動した際にも呼ばれましたので驚きました。 このスタイルのカードをご覧になられた方も多いことでしょう。一番下の段にOne of the ARRL Headquater Gang
、すなわちARRL本部のいたずら坊主の一人とあるように、ARRLの職員の方は同じようなフォーマットのカードを使っているのが特徴です。

サムナー氏と筆者、今年4月にパリのIARU 75周年式典に出席した折のもの。

彼は左利きで、右手で電鍵を操作し、同時に左手でログの記入を行っています。そのキーさばきとQRMを聞きわける技術は抜群です。このカードは1990年に28MHzのCWで交信したものです。

下に並んでいるのはARRLの職員のカードの例ですが、W1TSには特別の思いでがあります。

左の写真は1970年に14MHzのCWで交信したものですが、中央のそれは、さかのぼるること約 32年、1968年 8月23日に筆者がコネチカット州にあるARRLの本部を訪問した時に、技術部長として対応していただき、ARRLの博物館等を案内していただいた折のものです。小さすぎて読めませんが、RSTの欄にはeyeballと記載されています。

W1TSとQSOした時のQSLカード W1TSとアイボールQSOした時にもらったQSLカード NX1Lと18MHzのCWとSSBでQSOした時のQSLカード
右のNX1Lはハムフェアの会場に毎年見えて、DXCCのチェックをしていただいているお馴染みの秋山さんのQSLカードで、いろいろなバンドでQSOしていただいていますが、これは1991年に18MHzのCWとSSBで交信した折に送ってもらったものです。
どうでしょう。人が変わり、コールが変わってもARRLのメンバーは一目でわかります。

     
 
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