松本さんのアンテナ塔
お定まりのラジオ少年からスタートして、気がついてみたらもう半世紀近くもCQ、CQと叫んできた計算になります。

いまのようにハイテクの無線機が無かった時代にはアルミの板を曲げてケースを作り、それに部品を取り付けるといった、すべて自作の送信機、受信機、そして銅線を伸ばしたアンテナだけでしたが、それでも知らない土地までトイレの電球を灯すくらいの小さな電力で自分の電波が届くことに最高の喜びを感じたものです。

いまでは国内ばかりでなく世界が舞台です。海外旅行の際にも声やトンツーで知り合った友人に会うのも楽しみの一つになりました。

イタリア旅行のときなどは、帰国前夜の深夜に連れ出され、郊外の町まで行ってアイボールQSO(アイボールは目の玉でQSOは交信の略語、つまりじかに会うことに意)を楽しんだりもしました。

写真上 無線室がくつろぎの場
写真下  イタリア(ミラノ郊外)のハムを訪ねて
最近は日本中の市町村を追いかけたりしていますが、市はまだしも町村となると3,000近くもあってなかなか手ごわいのです。

同じようにアメリカのカウンティ(郡)も 3,000以上あって、こちらは更に難物ですが、何か目標があると知らず知らず血が騒ぐのです。

アマチュア無線関連の本はマニュアル本を含め3冊出版することができました。関連の雑誌には毎月連載でもう25年近く続いています。

インターネットの時代になにをいまさらと思われるかもしれませんが、「未 知との遭遇」、これが永遠のテーマです。(2000/3/31)
松本さんの出版した本

(電通社友会会報 74 MARCH 2000 から転載しました)




松本さん(JA1AYC)の著書

「アマチュア無線運用マニュアル」電波新聞社刊
「リグ談義 常識のウソホント」電波実験社刊
「QSOテクニック 常識のウソホント」電波実験社刊  
 

 
     
    
いま蘇る”見事なパイルアップさばき!”
 
BQ9P、プラタス島DXぺディション(2001年3月 6日〜15日)に参加されたJA1AYC 松本さんのオペレーションが日本の友人によって音声が録音されていましたので、その一部をここに収録しました。
BQ9Pの詳細は松本OMによって「東沙島冒険的通信記録」としてレポート」(http://www.qtc-japan.net[ イベント情報→BQ9P DXpeditionをクリック] がありますので、そちらもあわせてご覧ください。
 
BQ9Pのシャックが作られた「東沙漁民服務站」の前で記念撮影(最前列=JA1AYC)
再生ボタンクリックで、BQ9Pを運用するありし日の松本さんから届いた信号が・・・
 
東沙島とは
 
記念盾(プラタス島の珊瑚の砂で描かれた砂絵の盾)

砂地に横たわるTitanex(建設前) 筆者も過去のDXペディションの折にプラタスとはQSOしているのですが、東 シナ海にある島で台湾領とくらいしか理解していませんでした。と言いますのも、小中学校で使う国定世界地図とか、よくある地球儀程度ではプラタス島は見当たりません。

まさしく絶海の孤島です。北緯10度38分、東経114度37分と言うのがその中心の緯度経度ですが、元は珊瑚礁でできた島で、その昔は鳥の糞が石化した燐灰石をとるために日本の企業が進出していたとも聞きました。

いまのナウル島(C21)となんとなく似ています。今や台湾の統治で政治的にはいささか微妙なところでもありますが、軍隊こそ撤退していますけれど、いまもなお沿岸警備隊が駐屯して、もっぱら不法漁船の監視などにあたっています。

東沙とならぶ西沙(スプラトリー)はその所有権をめぐって今もなお紛糾していると聞きますけれど、少なくもここははっきりした台湾領です。折からスプラトリー(9M0M)のDXペディションも行われているのが偶然とは言え面白い感じです。 de JA1AYC (
この続きはQTC-Japan)でご覧ください)

     
 
Copyright © 2004 QTC-Japan.com All rights reserved.