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丁度一年前くらいに、コラムNo.50で「ツェッペリン飛行船」と言う話を書きました。ドイツ一周のツアーの中ほどで南ドイツはボーデン湖のほとりにあるフリードリヒスハーフェンと言う小さなリゾートタウンで一泊したのですが、実はこの地がヨーロッパ最大のハムの祭典「ハムラジオ2001」の会場でもあり、かつツェッペリン飛行船誕生の地でもあったが故にこのコラムへと筆を運んだのです。
ツェッペリンと言えば我々になじみの深いところではツェッペリンアンテナ、俗称ツエップアンテナがあります。そしてツェップアンテナの由来はこのツェッペリン飛行船に搭載されたアンテナを持って起源とするのです。
昨年はツアーと言うしばりがあったので、残念ながら、ツェッペリン博物館に足を運ぶことも無く、ハムラジオの開催場所であるメッセも横目に見ただけでした。
たまたま今年になって仕事(欧州におけるPLCの実情調査等)とは言え、ふたたびフリードリヒスハーフェン市を訪れるチャンスを得ました。
折から「ハムラジオ2002」も開催されていて、時節も良く、最高のセッティングと言えます。フランクフルトから80人乗りの小さな飛行機でフリードリヒスハーフェンに到着したその夕方、一刻を惜しんでツェッペリン博物館を訪問しました。
聞いていたのとは若干違って、展示そのものは見る人にもよるのでしょうが、記録写真等を除けば、それほどでもなかったのですが、それでも実物のツェッペリン号の客室のカットモデルがそのままに展示室になっていて驚かされます。
クラスによって異なるのですが、一段ベッドの部屋、二段ベッドの部屋などの宿泊施設と別に、サロンとか食堂とか、まさにいたれりつくせり、さすが船と呼ぶだけあって、まあ豪華客船とまではいかずとも当時であれば最高の贅沢だったことを伺い知ることができます。
でも最初に出会ったのが実はDK0ZM、いわずもがな「ツェッペリン博物館記念無線局」でした。もっとも今回は仮設の形で、入場券売り場などがあるロビーの片隅にリグを備え付けての運用です。オペレータはDK8CKワーナーさんで、その時はPSK31で運用中でした。
ワーナーさんはツェッペリンアワードのマネジャーでもあり、アワードの情報等もいただいたのですが、このあたりはまた機会を改めてご紹介する予定です。
フェルディナンド・フォン・ツェッペリン伯爵は「人は意志をを持たねばならない。そしてそれを信ずるところに成功がある」と言う名言とともに革新的な事業を起こし、成功したのですが、その意志はめんめんと受け継がれて現在に至っています。
ツェッペリン飛行船はあのニューヨーク到着時予期せぬ悲劇的な火災でその最後をとげたヒンデンブルグ号で知られるところですが、いまでは不燃性のヘリウムガスによる新しい形の飛行船として生まれ変わり、今日もフリードリヒスハーフェンの上空を「ツェッペリンNT」として優雅な姿態をあらわしていました。(DK8CKのカードにはその写真が使われています)
かくして航空機エンジン、船舶用エンジン、飛行機製作、変速装置、エレクトロニクス、無線技術等々がいまにもうけつがれて見事に科学技術の象徴として人々に感銘を与え続けています。
次回は欧州最大のハムの祭典「Ham Radio 2002」をご紹介する予定です。 (2002/7/6) |
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さてお約束のハムラジオ2002です。内容はいろいろありますので、2〜3回のシリーズでおとどけする予定です。今回は別の調査目的で行きましたので、充分な取材ではないのですが、印象を中心にご紹介したいと思います。
Ham
Radio 2002(もちろん年号は開催年ごとに変わります)とは欧州最大のハムのイベントで、日本のハムフェスティバルとかアメリカのデイトンのハムベンションを想像していただければよいでしょう。もちろん毎年開かれていて、今年も
6月28日(金)から30日(日)にかけて、おなじみの(と言っても私には初めての体験でしたが)南ドイツはボーデン湖のほとりにあるフリードリヒスハーフェン市で開催されました。
フリードリヒスハーフェンはコラムNo.81で説明したように、ツェッペリン飛行船誕生の地としても良く知られていますし、ノイシュバンシュタイン城で知られるフュッセンからも、そう離れていませんが、それよりも湖を挟んで対岸はスイスです。
初めて行かれるのであれば、ドイツ国内のミュンヘンとかフランクフルトよりも、スイスのチューリッヒが一番便利そうです。まあ土地のご案内はまたおいおいとさせていただきますが、まずはHam
Radio 2002の第一印象から・・ 何と言ってもインターナショナル!
催しのサイズではデイトンハムベンションでしょうし、レイアウトとか多彩な展示の中味と言えば日本のハムフェスティバルの方がすこしは上かなとも思えるのですが、大きなちがいは何と言ってもそのインターナショナルな雰囲気でしょう。
少なくも欧州各国の30以上の国からの参加者、そして当然ながら、それぞれの国を代表する連盟等のブース出展。入り乱れる言葉の多彩さ。人種のるつぼの感がします。デイトンはアメリカであり、有明は日本ですが、フリードリヒスハーフェンはもはやドイツと言う国を越えて正にヨーロッパなのです。
多くの人は飛行機よりも列車や自家用車で会場入りをしています。それだけ陸続きなんだなと、改めて感じたものでした。町自体はそれほど大きくなく、たしかに避暑客などを対象としたホテルや民宿も散在しますが、はたしてこれだけ多くの人を収容できるかとなるとはなはだ疑問です。
その疑問に応えたのが会場の構成でした。パンフレットの中に会場案内が出ているのですが、ホール 1から10まで使われている中で、屋外のスペースは別として、実に
4つもの大きなホールがキャンピング用に割り当てられているのです。言ってみれば屋根付きの巨大駐車場で、一定の料金を払う事で、期間前から期間中を通して、ここでキャンプ生活ができるのです。
写真の会場図の中でグレイの建物(ホール1,3,9,10)がそれにあたります。他の建物より一段と大きいことに気付かれることでしょう。屋根つきですから、雨天も気になりません。このような環境がととのって初めて見事な雰囲気ができあがるのですね。
ちなみにキャンプ場の使用料は24日から30日までの最大期限で27.50ユーロ、日本円にしてもせいぜい3,500円弱ですから、たいしたお金でもありません。車で乗り付けてそのままキャンプを張る人、バックパックで寝袋等を持ち込んで、居座る人などなどさまざまです。
各連盟のブース(もちろん主催者であるDARC=ドイツの無線連盟を始め)や大きなメーカーの展示、大型の販売店などが集まるホール6が展示の中心になっていますが、ホール4と5はすべてフレアマーケットで占められています。
水色のホール 7と 8にはコンピュータなどのエレクトロニクス関連の出展、販売が集まっていてハムトロニックと表示されていました。もちろん中庭の駐車スペースにも多くのキャンピングカーが集まり、ファーストフードの販売店やビールスタンドなどでにぎわっていました。
次回はもう少し中味をご紹介する予定です。 (2002/7/19) |
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