屋根つきキャンプ場

ハムラジオ2002の第二弾をお届けします。  

遠隔地とか他の国からの来場者向けに屋根付きの駐車場(キャンプサイト)が設けられていることは前回ご紹介しましたが、とりわけ青少年用のキャンプサイトは無料するとか、入場料も割引するとか青少年に対する配慮も行き届いていると見ました。常設ではありますが、プレス用の部屋もあって、取材に訪れたプレス関係者によろこばれていました。これはむしろメッセ(見本市会場)の運営者に知ってもらいたいですね。  

今回のハムラジオ2002は、旧来のメッセ(見本市会場)を使って行われました。(来年度より新しい会場に移る予定です)日本のハムフェスティバルはこのところパシフィコ横浜とか、ビッグサイト(2002年より再度)を使って開催されています。特徴は会場が一つの建物に集約されている点でしょうか。それに比べて、デイトンのハムベンションもこのハムラジオ2002もいくつかの異なる建物を使って開催されています。  

フレアマーケットの風景

従って、雰囲気としては建物ごとに中味が整理されているので、それぞれの特徴があります。簡単にご紹介しますと、コンピュータ等のエレクトロニクス関連の展示販売で小型の2棟、フレアマーケット(ジャンク市)で大型の2棟、そして本来のブース展示、メーカー展示、大型の販売等きわめてハムそのものの関連は一番大きめの1棟におさまっています。  

開幕当日、目についたのは、エレクトロニクス関連棟にある某コンピュータ機器販売店のブースに入場者が殺到していたことです。多分に部品類が安売りされるという事前情報があったのでしょう。目の色を変えて部品類をとりあげ、更には入場制限(このブースに限ってはクローズドで、まわりを取り囲んで人の列ができました)もあった訳ですが、やはり時代を感ずるものがありました。  

DARCのメインブース

しかしなんといってもメインはハム棟です。そしてここの特徴といえば、DARC(ドイツの連盟=主催者)を始め多くのRegion1(主としてヨーロッパ)の国々の連盟のブースが集まっているところでしょう。DARCでは主催者のPRブース、クラブブース(DOK)、初心者のための手作りブース(JARLの工作教室のようなもの)、DXサーのブース、U/SHFのブース、ARDFのブースと、こちらも目的別にいろいろなブースが開設されていました。

各国のブースでは、その連盟の発行するアワードの紹介や、活動のPRなどを中心に、中にはその国の観光案内を兼ねたような出展も見受けました。地図であるとかパンフレットであるとかが配られたりもしています。  その他の独立したブースとしてはサテライト関連のクラブ展示、QCWAのブース、DIG(アワードハンター)のブース等を見受けました。  

DIGのブース

一方比較的大きな建物2棟におさまったフレアマーケットの会場は、賑わっていますが、特別にクラブ名などを掲示することもなく、ただ机に品物を積み上げて売り込むという青空市(屋根こそありますけれど)のスタイルで大変自由な感じです。JAの場合には例え販売といえども○○クラブとか、○○商店の看板付きなのでその点が違います。店が通路までひろがるようなこともなく整然としています。  

日本のそれのようにクラブブースでの交歓が少ないように見えたのは、ハムラジオ2002の多国性のせいだろうと思います。ヨーロッパではドイツはハムの多い方ではありますが、日本のそれのように密集状態ではないので、そうかなとも思えました。実際にはもっともっとコミュニケーションが行われている筈ですが、悲しいかな言葉の壁があって、そのあたりのニュアンスがわかりません。  

でもインターナショナルな交歓は盛んでした。これも陸続きという地理的条件によるものでしょう。丁度九州のハムと関東、関西のハムが「やあやあ」という感じで、国を越えた交流が盛んなことも事実です。日本人に比べるとバイリンガル、トライリンガルの人が多いというのも要素として加わります。 (2002/7/31)

 
     

 
 
 

ヨーロッパのハムフェアということで、さすがに車で参加する人が多いのは前に書きました。ライセンスプレートもさまざまで、見ているだけでも楽しいものがあります。もちろんモービルリグ、アンテナもセットされているものが多く、アンテナだけでも工夫の跡が見られます。  

会場内の駐車場券キャンプ場からオンエアーしている局も少なくないと見かけました。今回は自分のリグを持参していませんから、モニターもできなかった訳ですが、おそらく電波で故郷の友達にHam Radio 2002の賑わいを伝えていることでしょう。  

日本のハムフェアではいつも8J1HAMが運用されていますが、あのように大規模な局がどこにも見当たりませんでした。たまたま訪れたDOK(ドイツのクラブ組織)のブースで、DK0FNがオペレーとされていたのでシャッターに収めました。  

でも家に戻ってから手元のQSLカードを繰ると、なんとDK0FNのカードを発見したのです。QSOした時はあまり意識も無かった(CWのコンタクトだったので、細かいインフォメーションも得られなかった)のですが、これすなわち、Ham Radioの会場からの運用だったのです。  

日付は1979年6月10日、場所も間違いなくフリードリヒスハーフェンの見本市会場となっております。そしてロゴタイプはHam Radio '79となっています。ほとんど4分の1世紀ぶりの再会とはなりました。  

あまりいない東洋人だから目立つのでしょうか、会場ではよく声をかけられました。ほとんどが自己紹介で日本製のリグを使っていることを誇らしげにアピールしていて、聞く方では大変嬉しい思いをしたものです。

中には私のコール(胸のバッジ)を見つけて、「お前のコールは記憶に残っている、たしかコンテストでQSOしたはずだ!」とか、DXペディションでも会った筈だとか、あの何万ものコンタクトの中でもやはりコールサインの記憶というのがあるものなんですね。有名なペディショニストのDJ9ZBからも同様に声をかけられて感激しました。  

折から、IARU(国際アマチュア無線連合)RegTヨーロッパアフリカを含む地域)の非公式会合に参加する機会がありましたが、こちらにはIARU会長のW4RAラリー・プライス氏も参加していて、冒頭に簡単なIARUの現況報告がありました。

とりわけ来年行われるWRC(World Radio Conference)2003について言及されていたのですが、7MHzのバンド拡大についてはかなり楽観的な観測をしていたので、心強く思われました。

一方、高い周波数帯(U,SHF帯)については他の業務からの攻勢が強く、こちらはかなり危機感を伴っていました。  

最終日は、折からWFC(サッカーのワールドカップ最終戦、それもドイツ対ブラジル)のゲームがあるということで、会場内のあちこちのブースではTVを囲んで臨時の観戦コーナーが出来ました。最後にドイツが試合を失った時はさすがに場内がシーンとして、ドイツ人には声のかけようもありません。  

一方、各国のブースではお別れの振舞い酒で賑わっています。フランスのシャンパン、スペインのワイン、イタリーのワインetc。残念!日本から樽酒を持ち込んで鏡割りをしてみたかった!枡や酒盃で振舞ったらさぞよろこばれたことでしょう。  

情報収集の仕事と束の間のHam Radio 2002の見学をすませ、再びフリードリヒスハーフェンの飛行場から双発のターボプロップ機に乗ってボーデン湖を後にしました。  

その次の日でしたか、同じエリアで飛行機事故(なんでも管制ミスとか)があったというニュースに接してびっくりしたり思わずホッとしたものです。 (2002/8/14)

     
 
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