かつて発明王エジソンも若い頃は電信技師として働いていたのですが、もちろんこの頃の電信と言えばすべて有線電信で無線電信となるのはもっと後のことです。昔見た西部開拓史時代の映画に鉄道の駅に行って電報を依頼するシーンがありましたが、そこでも電鍵とモールス電信機が活躍していました。
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榎本武揚の電信機 |
モールス電信機は丁度私が電信を覚えたころに使われていた印字機と似ています。短点、長点の電気信号をロールペーパーに印字するものですが、これと同様のものが長く使われていたのですね。最近あるOMからFBな資料をいただいて所属する会の会報に載せたのですが、せっかくですので、HPでも皆様にお見せしたいと考えた次第です。
この貴重な資料は沖電気の沖テクニカルレビュー誌に掲載されたものなので、沖電気に関係のある方はご覧になっているかもしれません。著者は同社の長尾和俊氏および上岡勤氏ですが、題して「モールス電信機複製へのチャレンジ」となっています。沖電気の創業120周年を記念して企画されたモールス電信機複製への過酷なチャレンジのものがたりです。
原文を全部お見せできませんので、要点のみを要約してご覧にいれます。まず原文のイントロをご紹介します。
==モールス電信機はアメリカのモールスが1837年に発明し、当時の商用通信、軍用通信、公衆通信として幅広く使用された通信機器であり、送信側で文字や数字をモールス符号で送った信号を、受信側では電磁石の作用で紙テープに印字して記録するものである。現在郵政研究所付属資料館(通信総合博物館)には、榎本武揚が幕末にオランダから持ち帰ったモールス電信機1台が保管されている。このモールス電信機は明治維新の混乱で一度は行方不明となったが、古道具屋にあったものを沖冴太郎(沖電気創業者)が購入し、後に榎本と二十年ぶりに巡り合った奇数な運命を秘めたものである。==
かくして創業120年を記念してこの電信機の複製がスタートするのだが、もちろん設計図一つ無く、資料館の所蔵品ゆえに分解もできず、外側からの推測で調査が開始された。もとになる電信機はおよそ140年前にフランスのディニエー社によって製作されたものであるが、歳月の変化で金属部分はかなり腐食している。ただし木部はまだ想像以上にきれいに保たれていたようだ。
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完成した複製機 |
そして海外文献をあさり機構や動作原理などを調査し、設計図の復元にあたるわけだが、なぜ沖冴太郎氏が古道具屋で電信機を購入したかと言えば、当時高価な舶来品であった電信機の国産化を目指して明工舎(沖電気の母体)設立となったことも記されている。
ようやく設計図がまとまって、次は使用部品の検討となるのだが、当時絶縁体に使われていた象牙に代えて樹脂を使ったり、あらゆる苦労があった由である。そして幾多の課題を克服して複製機が完成する。
電磁石の特性に合わせた乾電池と市販のモールス電鍵、特注の紙テープをセットして「トン・ツー」をたたくと、その信号が見事紙テープによみがえった。ついに技術者の夢が実現した一瞬である。
我々にしてもアンテナの再現か受信機の製作などに先輩の資料をひもとくのだが、この苦労にくらべると雲泥の差があることがひしひしと伝わってくる。
原文にはその製作過程の一部始終が細かに語られているのだが、残念ながら、すべてをお伝えできないが、せめてその意気込みと夢への挑戦を知っていただければと願う次第です。
(2002/3/21)
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