某月某日 その1  

ある朝起きてみたらBQ9P(プラタス島)のDXペディションの信号が50MHzで聞こえると言うニュース。プラタス島へは昨年誘われて運用に参加しているだけに、やはり思い入れがある。以前の運用時にほとんどのバンドでQSOできているものの、さすがに50MHzのものは無い。そう言えば昨年は6mの熱心な愛好者の方からアンテナまで預かって島に出かけたもので、折りよくEspoにも恵まれおそよ750局ほどコンタクトできたのだが、自分自身のQSOの記録は無い。早速50MHzをワッチすると、弱いながらも充分に聞き取れる信号である。とは言うもののまだ50MHzのアンテナはダウンしていて、呼ぼうにも専用のアンテナが無い。よって最後の手段として手持ちのトライバンダに無理やり乗せてコールしたものである。  

なんと「59」(多分DXペディションレポート的なおまけのレポートは思うけれど)の返事が返ってくる。思わず「ありがとう」を連発して無事コンタクトを終わる。  

それにしてもつくづく思うに、いつもどこか欠けているシャック構成で、まともにオールバンド、オールモードで電波が出せる状況に無い事を改めて思い知らされた。「備えよ常に」と言うガールスカウトのスローガンでは無いけれど、いつでもどんな状況にも応じられる体制づくりが必要とつくづく思い知らされた。  

某月某日 その2  

やっと「よみうり世界一万局賞」のためのカードチェックが終わった。頼むのも大変だが、頼まれた人も 1万枚からのカードが相手ではやりきれないだろう。それでも1万局をリストアップした「交信局一覧表」をつくづくと眺め、長かりし30年強の足跡をかみしめる。はたして無事に申請がOKになるかはまだわからないけれど、これが自分のハムライフの一つの集大成であることには変わりない。もっとも死んでしまえばただの紙切れなのかもしれないが、少なくもハムを続けていく間は常に心の支えになってくれるに違いない。次は「全日本一万局賞」への挑戦と新たな目標も見えてきた。早速申請書のコピーをとりながら郵便局へ。  

決して自分だけではなしえなかったことである。QSLの整理、コンピュータへの入力、そして申請書類の作成と実に多くの方のお力添えもいただきながら完成した宝物である。相手をいただいた1万の世界中の局は無理だが、受賞の暁にはせめてこれらお世話になった方々とはささやかな祝杯をあげたいと今からその時が待ち遠しい。  

某月某日 その3  

またまたQSLカードが切れてしまった。それならQSOをしなければとも思うのだが、そうはいかないのが永年の習性と言うもので、珍しい局が聞こえるとついつい呼びたくなる。このところ各地からアクティブなワールドカップ記念局にしても、一度のコンタクトに飽き足らず、別のバンド、別のモードと追いかける始末。記念局へはこちらからのカードの送付は不要だが、それ以外の局との交信には約束した以上発行しなければならない。

どんなデザインにしようか?とか、どこの印刷会社に頼もうかと悩んでいる内にどんどん未発行がたまる一方ではある。もちろんコストの問題もある。最近は専門業者に頼んでも比較的安くなったとはいうものの、まだ単価的には 5円を下ることは難しい。

それやこれやで自家製のカードの製作を試みる。単価 3円の白紙のカードを使って、プリンタインクの消費量を計算しても、このやり方なら十分に一枚 5円以下で作れるとわかって早速プリントにかかるのだが、いやー実は時間を計算に入れていなかった!  

メーカーに頼めば依頼する時間と印刷上がりの待ち時間はあるものの、事実上自分の時間はかからないが、自分でプリントするとなるとそれ相当の時間がかかる。まして家庭用のプリンターではまったく眼を離した状態にしておけない。いつ紙詰まりとか、要給紙となるかわからないので、ついついプリンタにしばりつけられる。この労働時間?を計算するとやはり手作りではロスが大きいかもしれないと気付いたけれど時すでに遅し、今日も明日もプリンタの番になりそうな気配である。 (2002/6/12)

 
     

 
 
 

フロリダ州のある人妻から手紙が届きました。と書き出すとなんだかあやしげな雰囲気ですが、決してそんなものではありません。  「突然のエアーメールに驚かれたことでしょう・・・」とこの手紙はそんな書き出しで始まりました。この主婦の名前は貴子さんで、アメリカ人のご主人と結婚されて現在はフロリダにお住まいのようです。なんでもこのご主人が引き出しを整理していたら私のQSLカードを発見されたと言うところからこの物語がスタートします。  

話は古く、1990年に遡りますが、当時私は14MHzでミズリー州のW0TKDと言う局とコンタクトしていたのですが、残念なことにこの局のカードは未コンファームのまま今日に及んでおります。アメリカと言うこともあり、14MHzと言うことでもあり、まああまり気にとめていなかったのも事実です。他にもたくさんコンタクトできているので、再度QSLの発行をお願いすることもなく12年の歳月が流れました。  

実はこのW0TKD局が貴子さんのご主人の祖父にあたり、なぜか私のカード(もちろん他の多くの局からのカードとともに、このお孫さんに残されていたのです。貴子さんはこのお爺さまにはお会いしていないのですが、ご主人はお爺さんが無線が趣味で世界中と交信しているのを見て育ったようです。  

ご主人のお勧めもあって、しかも日本語で手紙が書けると言うこともあって貴子さんは私宛てに手紙を書くことになったのですが、どうやらその決め手は私のカード(当時使っていた片面刷りの多量発行用のもの)に、いきなり「YOKOSUKA JAPAN」と印刷されていたが故に目にとまったのではないかと想像します。  

なんでも貴子さんのご主人は海軍のパイロットをされていて、近々横須賀のベースに転勤されるとか。そんなこともあって「YOKOSUKA JAPAN」が強烈に飛び込んできたのだと思います。  

返信のQSLはいただけなかったので、ここでお目にかけることもできませんし、いまさら再発行も無理なのですが、文面によるとお爺さまは去る1992年に99歳で天寿を全うされたとのことです。驚くことは、逆算すると、私がコンタクトしてもらった1990年にはすでに97歳だった計算になります。  

確かに私自身も現在より12歳若かったわけですが、それにしても丁度親と子と言うよりもお爺さんと孫のような年のへだたりがあったことになります。齢 97歳にしてまだしっかりと電鍵をにぎってハムを楽しんでおられた様子がお顔は知らないまでも彷彿として参ります。

私も97歳とは言わないまでも、できる限り長くハムの趣味を続けたいものと改めて感じた次第です。それにしても私がいつも言い続けている「未知との遭遇」の一つが12年と言う歳月を経てよみがえった事実を見るにつけ、ハムと言う趣味のもつ懐の深さや、出会いの大切さに思い当たります。 いまこの貴子さんとご主人が横須賀に赴任されたら早速お目にかかって、お爺さまの思い出話を伺うことを楽しみに返信をしたためているところです。  

カットは私がW0TKDに送ったQSLのゼロックスコピーで、貴子さんからの手紙に同封されていました。こんな形で自分のカードに再会するのもめったに無いことです。 (2002/6/30)

     
 
Copyright © 2004 QTC-Japan.com All rights reserved.