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 NEWS & TOPICS 2012.7.29


JA1OS柴田さんの肉声を録音したテープが発掘されました

平成2年(1990)11月16日開催の東京オールドのミーティング にご参加の皆様宛に、入院中の大田病院から1294.72MHz FMモードで横瀬さん(JA1AT)に送信されたJA1OS柴田さんのご挨拶を録音したテープが、このほど発掘されました。

ラジカセのカセットテープをデジタルデータに変換して東京オールドのホームページにアップしましたので、柴田OMの懐かしいお声をお聞きください。 ミーティングの案内・報告とともにカセットテープケース(写真)を 添付しました。 JA1AT 横瀬 薫 ja1at@mtj.biglobe.ne.jp Kaoru Yokose


JA1OS 柴田氏は1991年1月16日死去されました。享年75歳でした。

この写真は1977年9月、JARL第1回アマチュア無線フェスティバルにおけるもの、右側が柴田氏、左側はJA1CA岡本氏です。

この写真は原昌三氏(JARL元会長、JA1AN)により撮影されました。

↑プレーヤーの再生ボタンを押すと柴田OMの声が蘇ります。
 
「JA1OS 柴田OMのお声」

「JMHC東京オールド一泊ミーティングへのご挨拶」と題した録音テープ。

横瀬さん(JA1AT)により1294.72MHzにて送信⇒JA1AT受信、録音したと記されています。

平成2年11月16日

 

de JA1AT  横瀬 薫
 
 平成2年一泊ミーティングのご案内    平成2年一泊ミーティングの報告
 

 

 
 
柴田さんが太田病院に入院されて、無菌室の病室に入られたため 面会の際は除菌のウエアを着て消毒をしてからでないと入室が来ない状態だったので、私達ハムとはCWで話がしたいとの ご要望で、急遽 HIMOUND HK-704 キー と HIMOUND COK-2 CW CODEOSC それぞれ2台準備し柴田さんのベッドと廊下までコードを 引いてCWで会話を始めた次第です。
 
柴田さんからやはり会話をしたいとのご要望で1200MHzのリグを 持ち込み廊下のハンディー機との交信で会話をしましたが、ORCの 皆さんと交信をしたいとのご要望が出て来ました。
 
病院の総婦長さん と交渉し病室の外に3階屋上に昇る階段があったので、屋上にGP(グランドプレーン)を 立てさせて欲しい、GPからの同軸ケーブルを2階の病室内に引き込 まさせて欲しいとお願いの折衝をしました処、許可が出て早速GPを 設置して病室から電波を出せるようになりました。
 
その時の柴田さんの喜び様は大変なもので総婦長さんも『病人がこれだけ喜んで おられるのだから良かったですね』のお言葉がありました。
 
柴田さんの病室に持ち込んだ 電鍵と発振器。
ハムフェアのORCブースで即売されるかも?!
横瀬さん(JA1AT) 2011年11月撮影  
 
こうしてORC(大井町クラブ)のみなさんとのQSOが始まり、ORCの毎月第2土曜日に 開催されます定例ミーティングの会場からのQSOを楽しんでおられました。 私とは私の体が空いている限り毎日QSOを続けていました中で、東京 オールドのミーティングに際し皆様宛の挨拶を送りたいとのご要望で テープの内容のご挨拶をお送りいただいた次第です。
 
ミーティングの翌日私は箱根駒ケ岳の頂上に向かい、病室の柴田さんと QSOをしてミーティングの報告をしたら大変喜んでおられました。
 
その後快方に向かい一般病棟に移られたのでANTケーブルを引き込む ことが出来ないので、YAESUのオールモードハンディー機を持ち込み435MHz SSBで私とのQSOを続けていましたが、年末になり急に容態が 悪くなり1月16日にお亡くなりになられた次第です。
 
このように柴田さんとは私が高校生の昭和24年頃よりお世話になっていたお陰で、第1回の無線従事者の試験を受けることが出来ましたし、斎藤 健さん(JA1AD)、福士 実さん(JA1AE)のお陰で昭和27年8月に無線局の免許申請を出すことができた次第です。 柴田さんとはこのようなやりとりがありました。
 
 
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   11/23/2011
 
 
 
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