いま世の中はPLC(電力搬送線通信)の行方に注目が集まっています。家庭用の電力線に高周波が流されるのですから、特に短波帯への影響は考えるだけでも恐ろしいものがあります。どのバンドをワッチしても常時
S9レベルのノイズがはびこるとしたらまずアマチュア無線は成り立ちませんね。
これから各種の実験がなされて方針が決定されると言う話ですが、他人事ではありません。これからもいろいろと出される情報に注目していきたいと思います。
さて、WRC2003まであと1年半となりました。WRCすなわちWorld Radiocommunication
Conferenceですが、これを機に世界的な電波行政の大本が決定されるので、こちらも目が離せません。WRCでは電気通信に関する各種の取り決めが各国の主管庁の代表によって取り決めされるのですが、なんと言っても我々アマチュアにもっとも関わりのある事項と言えば7MHzバンドの拡張問題でしょうか。
ただでさえも狭い7MHzに多くの局がひしめいているのが現状ですが、7MHzと言えば正にアマチュア無線の銀座通りでもあり、とりわけ太陽黒点の活動が低下するこれから数年先はMUF(使用できる周波数)が10MHz以下になってくると国内はいざしらず、大陸間通信にも欠かせないのがこの7MHzとなるだけに問題は大きいのです。
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7MHzの拡張の必要性を訴えるIARUのPRパンフレットの表紙です |
現在7MHz帯は日本を含む第三地域とヨーロッパを中心とする第一地域では、わずかに7,000から7,100kHzの100kHzしかアマチュアに許可されていません。そして7,100から7,300は放送波に割り振られているのです。その点、南北アメリカの第二地域は7,000から7,300の300kHz幅がすべてアマチュアに与えられていると言う矛盾があるのです。
しかしながら歴史を振り返りますと、かつては全世界のアマチュア無線に7,000から7,300kHzまでが振り分けられていた事実が存在します。短波が利用されるようになって初めての1927年の「ワシントン国際無線電信会議」では300kHzがすべてのアマチュアに割り当てられていて、さらに1932年の「マドリッド会議」でもアマチュアがこれを防衛するのに成功しています。
それでも、1938年になると世界的な気運の中で、南北アメリカを除いて7,200から7,300はアマチュアと放送業務の共用と言うことに押し切られてしまったのです。大戦後には事情が好転するだろうと見られていたにも関わらず、1947年の「アトランティックシティ会議」では放送は更に7,100kHzまで枠を広げ、その上7,150から7,300kHzは放送専用とさえなってしまったのです。
1959年の「ジュネーブ会議」になるとすべからく現在の割り当て、すなわち7,100kHzから7,300kHzについては第一および第三地域には放送業務が第二地域にはアマチュアが割り当てられると言う現在の形になって現在に至っております。
その後もいろいろな提案がありましたが、なかなか好転の兆しがみえず、1992年の「トレモリノス会議」では6,900から7,200kHzまでをアマチュアに割り当てると言う提案もされたのですが、この案も結局成立しませんでした。それでもこの会議で将来10MHz以下のアマチュアバンドについては、とりわけ7MHzの周辺のアマチュアへの割り当ての調整を議題とすると言う最大限の約束を勝ち得たのです。
ついでイスタンブールで行われたWARC2000で7MHzの再編成について「Harmonaization」(調和)と言う用語が採用され、WRC2003の議題として正式に取り上げると言う前進を見たのです。
さて、来る2003年の会議では、ある意味でアマチュアの将来にも繋がる決定がされるのですが、いまIARUを中心に各国の団体がその実現に向けて努力をしています。たとえ、これが決まったとしても実現は2007年になるのですが、また実施にあたっては各国の主管庁の見解と最終決定が必要で、まだまだ難関が控えています。
私たちもいろいろな機会を捉えてぜひ300kHz幅を実現するために足並みをそろえたいと願います。 (2002/1/13)
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