そろそろ今サイクルも下降期でしょうか?まだまだ多数のDXの入感はあるものの、一時期に比べるとずっとさみしい感じもします。極端に弱い信号ですとコールサインの確認もままなりません。特にフェージングが大きい時などはつらいものです。そのためにフォネティックスコードがあるのかもしれません。  

はたしてAなのかIなのか、YなのかIなのか、CなのかTなのか、もどかしいものがありますが、それでもA=アルファとかI=イタリーなどとスペルアウトしてもらえると大変助かります。ただしこれは電話の特権でして、CWの場合にはあてはまりません。弱ければ弱いなりに受信しなくてはならないのです。  

でもなんと言ってもCWの強みはリーダビリティにあると言えるでしょう。電話のQSOではとてもおぼつかないような状態でもCWの信号は短点と長点の組み合わせですから、よほど弱い信号でも、つまりSメータがほとんど振れないような信号であっても、音として復調できるかぎりは受信可能なわけで、これがまたCWの醍醐味であるわけです。  

そのCWにしても強い混信とかノイズが重なった場合にはなかなかうまく受信できません。そうかと言って欧文通話表とか和文通話表なるものが存在しないだけに、別のテクニックが求められます。電気的なことから言えば、フィルターの活用が有効です。

電話の場合と異なって、いたって幅のせまい電波ですから、受信帯域をぎりぎりまで絞ることで、かなりの混信から脱却できるのです。もう1つのフィルタと言えばこれは人間の耳でしょう。異なる音調であれば限りなく分離できるのも耳フィルターあっての話です。  

次には送受のテクニックになりますが、相手方が取りにくいと言う場合には送出のスピードを速めたり、遅くしたりすることで、かなり改善できるのです。いたずらに繰り返して送信するようりもはるかに効果があります。ことにQSBが激しいときにはあまり遅い送出スピードですと、どうしても短点のいくつかが飛んでしまって完全な符号が理解できないのですが、スピードを速めることによってフエージングの山の間にすべての符号を送出し無事読解できることになるのです。  

極端な混信の中ではゆっくりとしたスピードで送るとかえってその符号が際立って理解しやすい場合もあります。大きなパイルアップの時にいたずらに早いスピードでコールしても他の信号と重なって聞きにくくなるものですが、いわゆるQRSで送って効果がある場合もあるのです。  

交信していて感ずるのは送信のスピードの速い遅いよりもむしろ正確な符号の送出でしょう。そのためにはいくら速く送る場合であっても文字と文字の間隔はしっかりと確保するのが一番です。いたずらに遅い信号でしかも文字と文字の切れ目のはっきりしないものは受けづらいものがあります。  

最近はエレキーを使われる方が多くなりましたから、長点、短点の比率は正確で一見綺麗な信号に取れますけれど、この文字間隔があまりにもつまっていたりすると完全な符号として取ってもらえません。  

たしかにゆっくりとしたラグチュウをする時にはCWはあまり向いていると思えません。和文交信であっても、いたずらに長くなるからです。英文で通信をするとなると今度はある程度の語学力が必要になるので、これも多くの日本人に取ってはあまり快適とは言えません。
ただし最初のQSOであるとか、短いやり取りであれば、CW特有の略語を駆使することによって見事に意思を伝えることが可能になるからです。それが証拠には電話による交信であってもCWの略語であるQ符号が用いられていますし、「GM」とわずか二文字で「おはようございます」「GB]で「さようなら」と見事に意思が伝えられるからです。
 

QRPが再度注目されていますが、CWのリグであれば、製作も楽ですし、それよりもでき上がった機械の性能を試すにもCWであれば電話のそれに比べてはるかに効率のよいことがわかります。コンディションはまだまだ良いと思っているといつの間にかサイクルのどん底になって飛ばず受からずの状態が続くことになります。今の内にCWにチャレンジされてはいかがでしょう。  

その昔、JARLのアワードにCW特記が限定されて発行されたことがありました。確か1973年のことですが、夢中になって挑戦し1番とはいきませんでしたが、AJDは27番を頂戴しました。JCC100は翌年になってやっとカードをコンファームし、それでも77番をいただきました。一番てこずったのはWAJAで、これは遅れること 2年、1975年にやっと完成し、それでも70番にすべりこみました。  

いまでこそデザインも異なっていますけれど、それぞれのアワードにCWの特記番号が入っているのも懐かしい思い出です。 (2001/6/17)

 
     

 
 
 

ツェッペリン飛行船の話を書こうとして写真を探したのですが、なかなか見つかりません。飛行船と言えばいまでこそ広告媒体として時々空に浮かんでいるのを見かけるが、これらはかつてのツェッペリンに比べたら大人と子ども、いやそれ以上のへだたりがあるかもしれません。  

なぜツェッペリンかと言いますと、6月26日付けのディスカバーハムライフ、フロントページでフリードリヒスハーフェンの写真(右)をお目に掛けたからです。この町は南ドイツのバイエルン地方、避暑地として有名なボーデン湖のほぼ中央あたりに位置する町で、もちろん対岸はスイスになります。数多くのドイツの町でなぜこの地をよく覚えていたかと言いますと、言うまでも無く毎年この地のメッセ(見本市会場)でドイツのハムフェアが開かれているからに他なりません。  

アメリカのデイトンと並んで、いまや日本の横浜パシフィコ(これまでは晴海、有明)のハムフェアも世界的に有名になりつつあるのですが、ヨーロッパで本格的なハムフェアが毎年催されるのはここだけだと思います。それだけに、いつかは一度行ってみたい、出来れば今年と思っていたのですが残念にもスケジュールがあわず、今回は忙しいツアーのおりに垣間見たに留まった次第です。  

ハムフェアのことはかくして承知していたつもりですが、あらためてフリードリヒスハーフェンを訪れるにあたり参考書をひもといたら、とんでもない、ハムフェアのハの字もないけれど、まさしくそこはかのツェッペリン飛行船誕生の地ということが判明しました。いまでもツェッペリン博物館として残されていて飛行船の歴史とかツェッペリン開発のあれこれ、ヒンデンブルグ号の実物大モデル(全部ではなく一部)が展示されていると言うことでした。かえすがえすも残念なことには、この地はたんなる中継宿泊 ポイントであったために、せっかくのチャンスを失うことになりました。  

ツェッペリン飛行船は1900年にツェッペリン伯爵が事業化したのですが、事実上これが本格的な飛行船のデビューとなったと思われます。一時は運輸事業から旅客運送までに発展し、軍事的にも使われた飛行船ですけれど、残念にも当初のそれは浮揚するためのガスに不燃性のヘリウムでなく水素を使っていたが故の事故がおきてその使命を終わったと言うことです。

有名なのは映画化もされたヒンデンブルグ号でたしかアメリカの基地に到着した折に大火災を起こして炎上したのです。本体の大きさは全長245メートルと言う巨大なものだったらしい。1900年と言えばちょうど無線の歴史が始まった時代と言うのもおもしろい発見です。  

ところでツェップと言うことばで我々が一番に思い出すのはなんと言ってもZeppアンテナでしょう。文献によるとなんでも、このツェップアンテナの起源はツェッペリン飛行船に由来するらしいのですが、確かにアンテナの名前はその発明者などの名前がつくことが多いけれど、これもその1つとおもわれます。なんでもツェッペリン号で使われたタイプのアンテナとか。  

いまでこそあまり使っている人を聞きませんが(それでも3.5MHzとか3.8MHzのローバンドではまだ愛用者がいるとか)筆者が開局した1950年台では代表的なアンテナの1つでした。形状は逆L型の垂直部分に「はしご型のフィーダ」を使って垂直成分を打ち消し、水平部分で電波をふく射する電圧給電タイプで、製作の容易さとかコスト、またその形状から愛好者が多かったものです。  

垂直部分のフィーダについては現在のように同軸ケーブルが安易に入手できる時代でなかったこともあって、もっぱら自作のはしご型でしたが、そのセパレータとしては「割り箸」が一般的に使われたものです。絶縁性を高める意味で割り箸をパラフィンで煮込んで使ったことが懐かしく思い出されます。  

このような形状がなぜ生まれたかと言えば、これも定かでありませんが、多分ツェッペリン飛行船の筺体部分が主にアルミあるいはジュラルミンで作られていたので、その影響を逃れる意味で、あえて垂直部分をふく射部分としない工夫があったのかもしれません。  

いまでこそツエップ型のアンテナは一部スローパーとして市販されている他、その応用としてはラジアル無しのモービル用ホイップなどに原理が活きています。やはりフリードリヒスハーフェンにはアマチュアの祭典を催すそれなりの意味があったのです!  

ツェッペリン飛行船に関してもっと知りたい方はインターネットで科学、航空機と進んで「ツェッペリン飛行船」で引けばいろいろなサイトから詳しい情報が得られます。 (2001/6/26)

     
 
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