秋葉原と言えば電気街の代名詞。もっとも大阪には日本橋があるようですけれど。それでも筆者はもともと東京生まれの東京育ちと言うことで、半世紀も前から秋葉原界隈にはなじんできたものです。電気街と言ってもそれは戦後の話で、知る人ぞ知るではありませんが、最初の「らしきもの」は今の須田町から淡路町にかけての露天商でした。  

その後ガード下を中心に、いわゆるジャンクショップが現れたのですが、その当時はまだ若かった筆者にはいわゆる白物(電気冷蔵庫やら電気洗濯機などなど)はあまり興味がなかったこともあって、大型の電気店がいつごろ、どんな格好で出てきたのかはっきりとした記憶がありません。  

もっぱら歩き回る範囲と言えば、ラジオガーデン(これは確か鉄道博物館に近いJRのガード下)、ラジオストア(これはいまでも健在な秋葉原駅横の同じくJR高架線下)、等々で、それ以外はハムショップですが、とは言うもののトヨムラとかハム月販とかで、確かロケットや九十九はそれ以後だったと思います。  

とにかく球屋さんが多くて、各種の受信管、送信管などを売っていたものですが、新品は少なく、ほんとうに使えるのどうか半信半疑ながらも買ってきたものです。その最たるものはメタルチューブで、これはGT管の外皮がガラスでなくてメタルで覆われているだけに、中味も見えません。でも球屋さんがカチャカチャとチューブチェッカーなるものを操作して「はいこれは新品同然!」などと言われるとつい信用してなけなしのお小遣いをはたいたものです。  

コイル屋さんとかスピーカ屋さん等も沢山ありました。当時はそろそろオーディオブームのはしりでもあったので、オーティオ用のパーツは結構揃っていたと思います。当時ケンウッドはまだ春日無線でアマチュア用のコイルキットなども発売していました。山水電気はトランス屋さん、パイオニア(まだ福音電気と言っていた)はスピーカ屋さんで通っていたものです。  

そんな秋葉原に久々に足を運びました。もう無線の店も少なく、ほとんどがコンピュータを売り物にしています。とりわけ必要なものも無いので、あちこちとかつてのジャンク屋さんとか、小物のパーツ屋さんを中心に歩き回ったのですが、パーツそのものも小型化していますし、昔見たおなじみの固定抵抗とかペーパーコンデンサとか、ましてオイルコンデンサなど一向に見当たりません。  そんな中で「これは!」と思ったのが写真でお目にかける、なんと表現したらよいか分からないのですが、「ルーペつき作業アーム?」でした。比較的重めの足にルーペとロボットの手のような自在アームがついている代物です。  

最近極端に目が悪くなっているのと同時にコネクタの配線などではいつも手が足りなくて困っていたのですが、これがあれば一挙に解決です。お値段も中型のレンズ付きで1,380円とてごろで、迷うことなく買い求めました。  その他にも、L型のピンジャックの付いた延長コート、同じく3.5φのジャックの延長用の両端子など、日頃欲しいと思っていたものも見つけました。

ジャンク屋さんの良いところはメーカーなどが余分に作った特注品が出回っていいて、自分で作るのは面倒だと言うようなもので、結構すぐれものがあるのです。  
これは余談ですが、買う気はしないけれど、もらったら嬉しいと言うようなものは沢山ありますね。

例えば右の写真ですが、これはおなじみのワールドクロックです。もちろん電卓としても重宝するものですが、これは秋葉原でなくて、たまたま空港の免税店でたばこを買おうとしたら、そのおまけについていたものです。 

電卓用の数字のキーに主要都市の名が記されてあって、それを押すだけで必要な場所の時間が表示されるものですが、まあどこでも売っていると言えばそれまでですが、なにしろタダですから、大変得をしたような気になったものです。  

再び秋葉原の話ですけれど、例の電波時計がとても安く売っていました。最近は町のディスカウントショップなどでも見かけるものですが、さすが秋葉原はぐっと安く、しかも沢山の種類から選べますからFBです。いつも時間には苦労している身にとっては大変ありがたいものの一つです。  

手元の時計にしても、パソコンの内蔵の時計にしてもどれとして「これが正しい時間だ!」と言うものはありません。ログを記入する際は不可欠なものの一つでしょう。とにかく秋葉原は宝島のような気がしてなりません。また折を見て「秋ブラ」を心がけるつもりです。 (2001/2/28)
 
     

 
 
 
ちょうど昨年このディスカバーハムライフWeb版を開始したころに「パイルに参加する。とパイルを捌く」と言うタイトルでコラムをご覧にいれました。折からサイパン島に出かけて思わぬパイルに出会ってから、つくづくその恐ろしさを身をもって体験したからです。パイルに参加して振られるのであれば、パワー不足、技術不足とあきらめもつくのですが、パイルになって呼ばれる時には応える責任が生じるからです。そしてその責任がもっとも重くのしかかるのがDXペディションです。  

なんとそんな経験をしたばかりと言うのに舌の根も乾かぬうちに再びDXペディションに参加する羽目になりました。この3月6日から15日かけて行われたBQ9P(プラタス島)での運用です。今回のDXペディションは台湾のハムが中心ですが、オペレータとしてアメリカから2人、ロシアから1人、そして日本から私が加わって、合計8人のインターナショナルチームによって行われたものです。  

左の盾はその記念にプレゼントされたものですが、写真ではよくわかりませんが、プラタス島(東沙島)の珊瑚の砂で作られた砂絵によるもので大変貴重です。このペディションでふたたびパイルを浴びることになったのです。  

東沙島は南シナ海のちょうど中央に位置している絶海の孤島です。台湾領ですが、そこには沿岸警備隊が駐屯していて不法漁船をとりしまるなど権益を守っているのですが、普段は民間人が行けないところで、日本で言うと硫黄島のような感じです。これまでにも4回ほどDXペディションが行われているのですが、JAでは雑魚化しているものの世界的に見るとまだまだ価値が高く、1999年のARRLの調査によればP5(朝鮮民主主義人民共和国)やBS7H(スカボロー環礁)に次いで要求の高いところです。  今

度のDXペディションも10日間と言うゆとりをもって、しかも160mから6mまでオールバンド、オールモードと言う規模で行われることになりました。もっとも最初の計画書を見ると6mは含まれていなかったり、RTTYとかPSK31と言うデジタルモードも入っていませんでした。どうせ参加するならと6mやデジタルモードの追加を申し出て実現することになったのです。  

アンテナもローバンド用に2本、ハイバンド用にWARCも含めて3本、6m用に1本用意されて準備がととのい、いざ決戦と言うことになりました。予想はしていたものの正にすざましいパイルアップです。SSBやCWではスプリットを採用して(送信する周波数と受信する周波数をわけて送受の能率をあげるテクニック)さばくものの、いつまでもパイルの波はひきません。  

さて問題はRTTYです。今回は特に移動と言う条件ですから、なるべく身軽にと言うことで、ラップトップ一台にMMTTYと言うソフトを仕込んで出かけました。これならばパソコンのサウンドボード経由でトランシーバーのマイク、スピーカ端子と接続するだけで運用が可能だからです。一昔前に(実はほんの去年のこと)TNC(モデム)まで持参したのが夢のようです。まさしく世はソフト時代に突入しています。  

RTTYをやっていない方に少し解説しますと、以上の接続を済ませ、受信に入ります(トランシーバーのモードは周波数帯に関係なくLSBを使います)と画面に復調された文字が浮かび上がります。そして正確に希望する信号を捕らえますと、コールサインが読み取れるしかけです。

しかも、そのコールサインをマウスでクリックするだけで、すでに交信モードに入れるのです。特にDXペディションでは通信時間も限られていることから、あらかじめ交信文章(例えばRSレポートなど)をあらかじめパソコンに記憶させておくので、一層能率が上がります。  

その上このソフトのすぐれたところは、受信した信号の微妙な可聴周波数のずれを検知して、自動的に修正するのですが、実はこの機能が混信の中では裏目に出たのです。つまりパソコンはどの信号が本物かを探しだすのに迷いを生じるのです。それにもまして特にヨーロッパ勢は指定無視と言いますか、とにかくルールを守りませんので、交信に入ってからも遠慮なくコールをし続けるのです。  

さすがにこれには弱りました。結局取ったのがタイトルにもある「逃げ回りの術」です。つまり2−3局とある周波数で交信を終えると、すかさず別の周波数にQSYして短いQRZを出し、それをかぎつけた局とまた2−3局コンタクトすると言う具合です。これはうまく行きまして結構能率も上がりました。最初は「どうした?どうした?どこへ行った?」と騒いでいたものが、この交信パターンがわかるとあらかじめ別の周波数でワッチするテクニシャンも現れました。南の島の鬼ごっこでした。 
関連記事はまた別コラムで!   (2001/3/19)
     
 
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