20世紀は確かに無線の創世記であり、発達期であり、ある意味では完成期でもありました。前にも書きましたようにマルコーニの大西洋横断の実験が行われたのが1901年、そして、この2000年には宇宙ステーションとの初交信も記録されているのはご承知のとおりです。  

しかしながら、アマチュア無線の創世記は我々の窺い知ることのできない苦難と受難の歴史でもあったようです。最近まであまり知らなかったのですが、この世紀を省みる一つの材料として、手元に大事に保存してあったARRLのアマチュア無線ハンドブックを取り出してみました。  

これは1950年出版の第27版となっています。と言うことは最初の版は1923年か24年に出版されたのでしょうか。定価は2ドルとなっています。初めて手にした時には送信機や受信機の回路図などが気になってろくに目をとめなかったその第1章に、はからずもアマチュア無線のドラマティックな歴史が記されてあったのです。  

すべてをご紹介するにはこのコラムのスペースでは不足なので、いずれ別の項を仕立てて、詳しくご覧に入れたいと思いますが、さわりだけを読みますと、1912年ごろにはすでに沢山の政府関係や商用の無線局がつくられかつ数100におよぶアマチュアが存在しており、なんらかの統制が必要になっていたこと。
そしてそれに呼応する法律や、免許制度、周波数の区分などが作られたのです。しかしながら、当時はアマチュアの声を代弁する機関が存在せず、一般的には「ああアマチュアは200mバンド以下でやっていればよい・・・」なる意見が多かったのです。  

しかし、時を経るにつれてアマチュアもDXの興味にひかれ、200m以下のみでは多くの夢が叶わないことを知ったのです。

そして重要なことは有名なARRLの創始者ハイラム・パーシィ・マクシムによって1941年にアメリカの連盟がつくられたことでしたが、当時6,000人もいたアマチュアの4,000人もが第一次大戦に従事していたことです。

これはアマチュアの最初の発展の終焉ともとれました。戦後きびしい制約を解除する為にマキシムほかが政府にかけあい、今日のアマチュア無線のベースともなる80,40,20,10,5mなどのバンドの確保につながったのです。  

これ以上の細かい話は又べつの機会に譲るとして、1950年、このハンドブックが発行された折には世界では10万人のアマチュア無線家が活躍していて、中でもアメリカには8万にものハムが存在しました。戦後の日本の無線が開始されたのは、これに遅れること2年後の1952年のことでした。

このハンドブックには数々の無線機や部品、付属品メーカーの広告も収録されていますが、いまでは伝説的にもなったコリンズやハリクラフターが登場しています。左はコリンズのマルチページの広告の一部で51J−1と言う往年の名受信機のもの、右はハリクラフターの受信機で、これまた懐かしいS-53(上)とS-38A(下)です。  
コリンズのデザインは後のSP-600シリーズなどに受け継がれますが,ハリクラフターのそれは多くのアマチュアの受信機つくりのお手本ともなりました。  

春日無線(トリオ)の9R-4J(1955年) 菊水電子のS-38(Sky Baby)(1953年)

この後しばらくして日本のメーカーからも受信機やキットが発売されるわけですが、真似とは申しませんが、これらの製品が一つのモデルになったのは疑いのないところです。 (2000/12/9)
 
     

 
 
 
20世紀は国の存亡をかけた世紀でもありました。多くの国が生まれ、また消滅していきました。その多くはかっての植民地が独立を勝ち得たものですが、中には東と西ドイツのように念願かなって再度統一をとげた例もありますし、また旧ソ連のようにいくつかの国に分解した例もあります。 

今年4月にニューカレドニアよりセパレートとして認められたチェスターフィールド環礁への国際DXペディションのQSL。 アメリカが管理していたパナマ運河の運用が本来のパナマ国に移管された結果、このカナルゾーンと言うエンティティも消滅となった。

そして昨今は朝鮮半島の雪解けが話題になっています。よそから見ているとなかなか理解できない中東の情勢ですが、パレスチナもその一つで、まだ本格的な独立に至っていません。今年インドネシアから分離して独立の道を歩み始めた東チモールにしても、まだまだ道は険しいようです。  

ところでアマチュアの世界ではエンティティ(これまではカントリーと呼ばれていましたが、事実上の国と地理的な国との区別がむずかしいが故にエンティティと言う言い方になりました)があります。こちらは政治よりも先行している部分があります。すなわち植民地、保護領、あるいは距離を隔てた島々などが皆別のエンティティとしてカウントされています。  

上記のパレスチナにしても東チモールにしても無線の世界ではすでに独立したエンティティとして数えられているのはご知のとおりです。毎年ARRLから発行されるThe ARRL DXCC List には、これらのエンティティと共にDeleted Entities、すなわち消滅エンティティと言うリストがついています。  
これを見るにつけ歴史を感じ、20世紀のありさまを思い出すのです。我が沖縄県もかつてはKR6あるいはKR8(JR6、KA6)と言うプリフィックスの元に別のエンティティであった時代がありました。  

DXCCのルールは複雑で、簡単にご紹介できるものではありませんが、本国より一定の距離をおいた別の大陸あるいは島(たとえばアメリカのアラスカ州、ハワイ州など)、別の政治形態あるいは独立した政治機能を有する国(例えばイギリスのマン島のような)などが別のエンティティとしてカウントされているのです。

JARLによる7J1RLのDXペディションに引き続きJF1IST藤原さんが単独で挙行した沖の鳥島へのDXペディションのQSL。 残念ながら今は消滅エンティティとなっている。従って日本に現存する別エンティティは小笠原(JD1)と南鳥島(JD1)の二つ。 世界的に要求度の高い朝鮮民主主義人民共和国P5へのDXペディションだったが、免許上の疑惑が生じてDXCCには認められなくなった幻のQSL。

中には支配権を返上して無くなってしまったエンティティ(パナマのカナルゾーン)、一度はDXCCのルールをクリアしたが再び見直されて消滅となったもの(日本の沖の鳥島)、国 は存在するけれども運用の許可に問題があってDXCCに認められていないもの(D.P.R.KoreaへのDXペディション、イエーメンへのDXペディション、インドのアンダマン 島での運用)もありました。

植民地と言う隷属的な呼称がなくなって、皆独立した国家として共存するのは大変すばらしいことですが、やはり経済的な理由、あるいは人口の多少、そして生産力の有無、各種の環境などの差によって、なかなか真の独立とはなりえないのも事実です。はたして21世紀にはどんな国が誕生し、どのように発展するのか楽しみでもあります。そして新しいエンティティを目指したハム の活動もますます盛んになることでしょう。 (2000/129/17)
     
 
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