| d
e J
A 1 F
U Y |
| アマチュアですから・・・・ |
ちょっといいハナシ(14):モービルハム事始
|
|
私にとってモービルハムが身辺に現れたのは昭和30年代の後半と記憶しています。自動車用のバッテリーを担いで山に登り、クラブのメンバーと共にフィールド・デーなどに参加して電波を出す喜びに浸ったのが移動運用に目覚めて時といえます。この頃、ローカルの先輩JA1DOU、村上さんが常に新しい風を運んできてくれました。オール真空管のデスクトップの送信機と受信機をマツダクーペに積んで現れたときには、目の玉が飛び出しそうな衝撃と新しい技術の息吹に触れたと今も鮮やかに思い出されます。
50MHzのAMによる通話距離は、固定局とモービル局の間ではせいぜい2〜3キロくらい。それでも無線電話つきの車同士ならドライブがいっそう楽しくなりますから、車好きのアマチュア無線家の間では早くも流行の兆しを見せていました。今でも親睦集団として継続されている「東京オールド」(代表・JA1AT)は、JMHC(*1)を結成して遠出のドライブを楽しんでおられました。当時は、車が高価で庶民にはまだまだ高嶺の花でしたから、JMHCの皆さんがハムの中の貴族集団のように映りました。
車から電波を出すには、まずロータリーインバーターを回して直流高圧を取り出す、DC-ACコンバーターなど電源の確保がまず命題であったようです。後にオール真空管式のタクシー無線機の払い下げ品による改造が主流になり、一気にモービルハムが増える勢いを示しました。このときはじめてFMの音質の良さと車の点火系ノイズに強いことを知りました。同時にスケルチの閉じる音にもしびれました。静寂を破り音声のみが聞こえてくる、映画で見たハイウェーパトロールのあのシーンに重ねて皆が酔いしれたように思えます。
同じ頃、トランジスタによる51MHzFMトランシーバの設計がJMHCで始まりました。配線図と共に基板と全パーツが希望者に頒布されました。村上さん経由で手に入れて組み立ててみたものの技術が未熟で動作に至りませんでした。後年、聞いた話では感度が出なくて調整に持ち込まれた数が膨大だったと開発者から伺うことができて、自分ひとりが未熟者でなかったと知りホッしたのも事実です。結局、再びタクシー機の改造に熱中するころ、福山電機製作所から送信部に12BY7と6360を使い、他は全部トランジスタで設計したハイブリッド・トランシーバが発売されました。昭和40年頃、値段は5万円くらいだったと記憶しています。
入社2、3年の月収は2万5千円くらい、トランシーバは2ヶ月の給料に相当しました。それでも欲しくて秋葉原の「ハム月販」で分割払いで手に入れました。51MHzFM10ワット、DC12ボルト、チャンネルは51MHzとサブチャンネル(51.20MHz)の2チャンネルのみ。オプションで水晶振動子を挿せばなんチャンネルでもという仕組みは後年のこと。たった2チャンネルで事足りた時代の悠長な話です。メーカー製造の市販品が出回り始めると、モービルハムが目に見えて増えてきました。
周波数が2チャンネルだけでは当然足りなくなり混信も増えてきます。皆仲間意識が強いのでチャンネル争いにはなりませんが、チャンネル増設派が徐々に台頭してきたのです。51.08、51.12MHzなど40kHzセパレーションで前述の2チャンネルを加えて4チャンネルが主流になりつつありました。それというのも福山に加えて極東電子やクラニシなどが参入してきたからです。初期の福山の製品は時代遅れになろうとしていました。
買い換えるなどの才覚に乏しい貧乏ハムには、アマチュアらしく改造に頼るしかほかに方法がありません。だからといって高等な技術があるわけではありません。考えた挙句にちょっとした工夫で4チャンネル化に成功しました。コントローラはハンドル付近に、本体部はトランク設置するという今考えても先進的な構成でした。それだけにリモートによるチャンネルの切替は難しいとされていました。2チャンネルしかないはずのトランシーバが、最新の4チャンネル機並にサブチャンネルにすいすいQSYする仕組みに関心を寄せられたのが、JA1RHL荒さん(*2)でした。
青梅街道のJR荻窪駅付近でその改造をお見せしました。本体部にロータリースイッチを取り付けてサブチャンネルを任意の水晶振動子を切り替えるだけの簡単な内容ですから、荒さんも驚かれた様子でした。もしかしてリレーを複雑に切り替えたり、電動のロータリースイッチを駆使していると想像されたのでしょうか。このとき荒さんから過分な評価をいただいたのは予想外の出来事でした。この出会いからMH編集稼業時代を経て30年以上もの長いお付き合いをいただけるようになるとは神のみぞ知る貴重な出会いだったように振り返っています。
メインチャンネルと任意のサブチャンネルは良いのですが、他の2チャンネルを指定されたときは、相手に気付かれないように車を停めて、すばやくトランクのふたを開け本体に増設したロータリースイッチを回し、高等な技術がない分を体力でカバーしたのです。飽食の時代を迎えて、パソコンも無線機もあふれていて手を伸ばせば届く範囲になんでもそろっている中、アマチュア・スピリットが輝かなければアマチュア無線ではないと固く信じながら、新しい技術に果敢に挑戦する気持ちを持ち続けたいと願っています。そして、モービルハムの創世記から世紀末まで幾多の出会いと技術革新を経験できた運命の不思議を感じているこの頃です。
(*1)Japan Mobile Ham Clubの略称。各地に地名を付したJMHCが誕生しました。JMHC東京は、その後「東京オールド」に名称を変更して今も年に一度、箱根で懇親会を開いています。代表はJA1AT横瀬薫さんです。
(*2)VK1ARA、荒大助さん。現在、オーストラリアの首都、キャンベラにお住まい。10月には7年ぶりに帰国してQTC-JAPANハムクラブ<JA1ZNG/1御岳山移動運用>に参加されました。
|
|
|
| |
 |
| |
| |
| |
|
|
|
|
|
|
| |
|
|