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BA4DH、Johnさんの思い出 BA4DH、Hsia Di-huaさんは、意識が戻らないまま9年間の療養の後、2000年3月5日、永遠の眠りにつきました。
姓のHsiaは謝、名は隷華…通称はJohn(ジョン)さんです。風貌は西洋系で父親が英国人と伺いました。英語は格調高いクイーンズイングリシュを話し、海外にも友人知己が多く国際人として活躍されました。
中国にまだ個人局が許されていない頃の話しです。 クラブ局がようやく許されたのが13年くらい前。そのころJohnさん、沈明綱さん(後にBA4AB)たちが発起人になってアマチュア無線のクラブ「上海電子学会」を設立しました。設置場所はすでに開局していたBY4AYのシャックに間借りしてBY4AOHを立ち上げました。AOHのAは市のレベルを表し、OはOLD、HはHAMでAOHを選んだといいます。
無線設備は、カナダ国籍の華人ハムがコリンズのセパレート機を寄贈してくれました。 Johnさんはクラブ局での交信に飽き足りなくて、子供たちを集めて電子玩具や簡単なラジオづくりを指導しました。得意の英語を駆使して世界の国々と交信して見せるなど、子供達にアマチュア無線が広い世界への窓であることを教えました。
クラブ局が軌道に乗ると、次は個人局の許可をもらえるよう政府に働きかけました。
そのためには、個人が持てる手軽で安い小出力のHF帯のトランシーバを自作し、それを組み立てキットにして仲間に普及させること考えました。当時、日本製のトランシーバは高嶺の花で手が届きませんでした。技術には自信がありましたから、上海で手に入るパーツで21MHz帯トランシーバの設計を開始しました。それでもSSBフィルターなど特殊部品は米国や日本の友人の助けが必要でした。
その頃、私は(JA1FUY)はChenさん(BY4ALC、BD4AC)、Davyさん(BA4AD)たちと親しい交友が始まったところでした。ある日、愛妻と共に箱根をドライブしていた時のことです。ちょうど大湧谷の駐車場に差し掛かった頃、21.300MHz付近でBY4ALCの電波をキャッチしました。早速、コールすると一回で応答があり、人懐こいChenさんの声がモービル用スピーカーから流れてきました。
「Johnさんが2mFMで待機していますけど、カワイさんJohnさんと交信してみますか?」、「ええ、もちろん交信したいです。Johnさんは21メガに出られるのですか?」、「私が中継します」、「えっ?! どういうことですか?」、「2mFMの音を21メガトランシーバのマイクで拾って送ります」というではありませんか。なんとスマートな思い付きでしょうか!
Chenさんの中継により快適な交信が始まりました。「先日送ったSSBフィルターは届きましたか?」、「届きました。ありがとう、いまSSBのジェネレータを作り始めたところです。あと5個くらい都合してもらえませんか?」、「お安いご用です。それにしてもよく聞こえていますよ」、「そちらが車で山の上からオペレートしているとは、とても思えません」
Chenさんの操作があまりに見事で、中継して貰っていることを忘れてしまうほどスムーズな交信が楽しめました。3人は2mFMと21メガSSBの交信を通してアマチュア無線の醍醐味を存分に味わい、幸福感につつまれていました。
Johnさんはジェネレータを完成させて、いよいよ送信部の終段の製作に向かう頃、不幸にも脳溢血で倒れ意識が戻らないまま9年間の療養生活が続きました。親しい仲間のお見舞いにも反応しないベッドに寝たきりの悲しい状態でした。
個人の開局が許されてBY4AOMのメンバーにBA4AAから始まる新しいコールサインが無線電管理委員会から付与され、JohnさんにもBA4DHが免許になりました。夫人も夫の遺志を次いでBD4AAのコールサインを取得し残された無線機を運用することもありましたが、昨年、看病疲れから脳梗塞を患い不自由なからだで夫に寄り添っていたということです。
BY4AOMのメンバーは70歳から80歳を超えるお年になりました。 それでも皆、旧き良き時代のラジオ少年の心を持ち続け好奇心一杯にアマチュア無線を楽しんでおられます。
そして、Johnさんの遺志を継いだ子供たちは、アマチュア無線で科学する心や通信術を学び、英会話の向上に懸命です。 Johnさんが描いたアマチュア無線の世界はいま見事に花が開いたのです。
ご冥福を祈ります。
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