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ある日の夕刊紙を開いたら"旅情満喫 ポルトガル周遊8日間"の広告が目にとまりました。日程を読み進むうちに種子島に鉄砲を持ち込んだポルトガル人のイメージが湧いてきました。
西尾幹二先生の著作「国民の歴史」(産経新聞社刊)によりますと、西暦1500年〜1600年ごろ、スペインとポルトガルの2カ国で世界を半分に分けて領有したという話を思い出しました。ローマ教皇はこの領有宣言を承認したというのですから、いまなら乱暴な話と片付けられても、当時は大真面目だったのでしょう。

世界を2分した大国(当時)がどこにあるかを正確に答えられる方は多くはないような気がいたしますが、あなたはいかがでしょうか。ヨーロッパであると自信をもって答えられますね、さて、そこから先が問題です。ポルトガルはスペインの西端に位置して北海道ぐらいの面積と人口1千万人の小国です。ブラジルの宗主国という立場もありますが、今はEUのメンバー国として存在を主張しています。
タイトル写真:ビラ・ノバ・デ・ガイアから眺める街並みとVX-1。 サンデマンのポートワイン工場の前で撮影

    
 
EUマップ。ポルトガルはスペインの左側に位置します。(朝日朝刊2月27日より)

エンリケ大航海王子が海原に漕ぎ出しインド大陸を発見、胡椒など香辛料を持ち帰りポルトガルに莫大な富をもたらした話は有名です。その富の蓄積を以前からこの目で見たいという希望がありました。そして今なら一ヶ月7万円で暮らせるというポルトガルの生活にも興味がありました。

平均収入は決して多くないのに人々はゆったりとした生活を楽しんでいてゆとりを感じるほどです。 前から考えていたとおり、"富の蓄積!"がごつくあったと思わずにいられません。首都リスボンのあちこちに壮大な石造りの大聖堂や修道院、城砦があちらこちらにそびえていて当時の栄耀栄華がしのばれます。もう一つの驚きは、大学都市のコインブラにありました。

人口10万人、ポルトガルでも3番目に大きい都市といわれるコインブラ。大学を中心に発展した街として知られてています。開校は1290年、この時代に学問を究めようとしていたわけですから、これは大したことといわなければなりません。 宗教と学問、これに富が加われば国が栄えないわけがありません。

ポルトガルの宣教師が日本に布教に来て、さまざまな形で西洋文明を持ち込んだのはよく知られています。日本語に同化したポルトガル語は、パン、ボタン、コップ、カステラ、コンペイトウ、ジュバン・・・等々、枚挙に暇がないほど様々な形で影響を与えたことが分かります。パンが外来語と知っていてもポルトガル語と知る人は少なく、英語圏で「パン」を連発して理解されない笑い話がありますが、欧米人もまたポルトガル語を解さないからにほかなりません。

■昔、宣教師は8年半、今はB777で15時間半の距離

バターリャ修道院。城郭のような堂々たる建築で、1388年の着工とされ、47年の歳月を費やしたが未完のまま残っている。ジョアン1世の騎馬像、未完の礼拝堂、美しい装飾の回廊がみどころ。

成田空港12:40発のブリティッシュ・エアウェイBA008でロンドンへ、ここでBA504に乗り換えてリスボンへは21時の到着。15時間以上の飛行機の旅と時差にひどく疲れました。観光ガイドは旅の疲れを見透かしたように、イエズス会の宣教師達は8年半かけて日本にたどり着いたと、15世紀の船旅を披露してくれました。
日本からの直行便は残念ながらありません。

ヨーロッパ大陸の最西端に北海道ほどの面積に人口1千万
人、かつての海洋王国の面影を訪ねる旅が始まりました。今は小国と言えかつての繁栄の証はあちこちの建造物で見ることができました。15世紀に船を建造して大航海の旅に出かけて行く心意気に思いを馳せました。大航海に駆り立てたエネルギーはどこにあるのか?

その答えは「国民の歴史」によれば、「ポルトガルとスペインはなぜ地中海の東方へ向かわず西の海上にの冒険に乗り出したのだろうか。地中海から東方の全域はイスラム教徒に制圧されていたからである。」にありました。16世紀末秀吉の時代にスペインとポルトガルによる地球南北二分割がローマ教皇アレクサンデル六世の大勅書と称して、異邦に住む人も文化も領土も全部自分のもの。

果たして日本はどちらに属したのか、百年後に両国間の激しい論争となったという。自分による「発見」はすなわち「占有」であるという観念を宣教師も探検家も決して変えない。ここにキリスト教という宗教の最大の謎と問題がある。と西尾先生が説いておられる。(この項、「国民の歴史」p.364から引用)
■コインブラ名物!歩道のガソリンスタンド
大学の街、コインブラで見かけた歩道に設置されたガソリンスタンド。給油に車が立ち寄るとどこからともなく係員が現れて手馴れて手つきで給油してくれる。

1290年開校のコインブラ大学を中心に発展したコインブラに一泊して、部屋の窓から周囲の景色を眺めていて気付いたのが、道路沿いのガソリンスタンドでした。

人気テレビ番組「世界不思議発見」で放送されたと聞きましたが、私も他のTV番組でこの不思議なガソリンスタンドを見た記憶があります。

「ああこれだ!」とすぐに分かりました。歩道の上にガソリンが給油できるスタンドが3つ並んでいました。なんでも街の中にスペースがないために歩道にガソリンスタンドを設置したと、その理由を解説していました。

大学の街、コインブラは狭い土地に建物が密集していて空き地を見つけるのは至難の業のようで、そうした事情から生まれた知恵と理解しましたが、日本なら危険物の取扱い規定や安全基準や消防法等の観点から決して許されないだろうと思いながら、シャッターを切りました。

■果物と野菜、魚介類が豊富!
リスボンの北約120キロ、大西洋の潮の香り漂う漁村、ナザレの朝市。色鮮やかなオレンジが山のように積み上げて売っている。1ユーロ(120円くらい)でオレンジが6個も買える安さでした。
2月と言うのに温暖な気候は、果物の栽培に適しているようで、ナザレの朝市に足を運んでみると鮮やかなオレンジ色で周りが一段と華やかな感じを受けました。

日本と同じ小粒のみかん、オレンジ、グレープフルーツ、キウイ、バナナ、いちご・・・何でもありました。 美味しそうなのでオレンジといちごを2ユーロくらいで買いました。とにかく物価が安くて暮らしやすい印象を受けました。

ナザレは漁村ですから、魚貝類が豊富で市場でもたくさん売られていました。よく食べられているのが鱈と鰯、イカのなどで夕食に鰯の丸焼きが出ました。家庭で鰯を焼く光景を目の当たりにして親近感を覚えたのも事実です。

リスボンの夕食に蛸の雑炊が出たり、格安旅行にふさわしい料理だとしても、日本人の嗜好に合うようで旅行者の評判も悪くなかったようです。
■ファドの哀愁が心に響く
リスボンのファドクラブでFrederico Vinagreが歌い上げる。Fado.高い音を奏でるマンドリンのような”ブズーキ”と低音を受け持つギターを伴奏に憂いに満ちた表情で歌い上げる。 フェデリコさんの本職は医師。夜になるとマントを着てファドクラブに出没する変り種!マイクやアンプは決して使わないのが正統派のスタイルだそうです。
コインブラのCDショップで見つけた1枚。記念に買い求めたが、全20曲これがなかなかにいけるのだ!20ユーロ
ポルトガル人気質を象徴するファド(FADO)は運命、宿命と言う意味で人生のほろ苦さを歌い上げてファドの憂愁が切々と迫ってきます。

黒いマントを着て唄うコインブラ派は、コインブラ大学の学生・教授が歌ったのが起源と言われています。民族衣装を着て唄うファドと区別されていました。

ファドの合間にはアコーディオンが加わり民族ダンスも演じられました。 民族衣装につつんだ男女が踊りますが、お隣のスパニッシュダンスとは全く違い、どちらかと言うとアイリッシュダンスに近い足踊りの印象を受けました。

明るさの中に憂愁を湛えた唄と踊りは日本人の心に深く迫りくるメロディです。聴き終えたときには、たちまちにしてファドのファンになってしまいました。
Report:JA1FUY

QTC-Japan.com 2002.02.28
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