その頃、SSTVの愛好家による全国組織のJASTAが誕生していたのです。このJASTAの努力により、ロボット社のスキャンコンバータと互換性のあるコンバータキットSC-77(左の写真)が頒布され、早速購入し組み立てました。それまでの残光性のモニターでは部屋を暗くして見る必要があったのが、普通のTVで明るいところで見ることができるようになりました。昭和52年ころのことです。 明るいところで見られることは、レーダーのように残光で見る画像に比べて画面もきれいでさらに消えないことでQSOを楽しくしました。JASTA主催のコンテストもたびたび開催され、私もよくコンテストには参加しました。こんなことで全国的にSSTVの愛好者が増えてきました。 しかし、当時は第2級アマチュア無線技士以上にしか許可されませんでした。 その当時、アワードには興味のなかった私ですが、QSLカードを調べていたところ、結構SSTVで各地の皆さんとQSOをしていたのでした。JCC-100にはすぐにでも手の届くところにあったのです。 その結果、昭和57年には「SSTV-JCC100、14MHz」の(特記No.7)を取得できました。このことがその後のWAJA(No.8)、JCC-200(No.2)を取得するきっかけとなったのです。JCC-200が(No.2)であったことがJCC-300への挑戦となったのです。それに長野のSSTV全国大会での宣言、岩手県での東北のSSTV愛好家のミーティング時に当時の「モービルハム」誌の編集長の川合さんとの約束が引くに引けない目標になったのです。