©www.qtc-japan.com
Photo & Text By JA7UQ Shikama Yoshiyuki
 

記憶には定かでないのですが、「無線で画像を送る?」そんなに面白いものかと思っていました。 SSTVが画像通信の先駆者の努力により免許された昭和46年頃のことです。 しかし、好きだったのですね、無線でできる技術が。5球スーパーで短波放送を受信していたラジオ少年が、ある日放送でない信号を捉えて聞いた内容がまさにハムの交信だったことを知ってからは、無線少年に変身してしまいました。もう40年以上も前の話です。 このことで、QSOより無線機を作ったり壊したりの私には、市販のSSTV 機械の少ないときには打ってつけのモードでした。しかし、モニターは勿論のこと、カメラも作れる自信もないしパーツの調達も・・・、結局はメーカ製(東京電子)のSS72CとSS727Mを購入しました。昭和50年頃のことです。

 

その頃、SSTVの愛好家による全国組織のJASTAが誕生していたのです。このJASTAの努力により、ロボット社のスキャンコンバータと互換性のあるコンバータキットSC-77(左の写真)が頒布され、早速購入し組み立てました。それまでの残光性のモニターでは部屋を暗くして見る必要があったのが、普通のTVで明るいところで見ることができるようになりました。昭和52年ころのことです。 明るいところで見られることは、レーダーのように残光で見る画像に比べて画面もきれいでさらに消えないことでQSOを楽しくしました。JASTA主催のコンテストもたびたび開催され、私もよくコンテストには参加しました。こんなことで全国的にSSTVの愛好者が増えてきました。

しかし、当時は第2級アマチュア無線技士以上にしか許可されませんでした。 その当時、アワードには興味のなかった私ですが、QSLカードを調べていたところ、結構SSTVで各地の皆さんとQSOをしていたのでした。JCC-100にはすぐにでも手の届くところにあったのです。 その結果、昭和57年には「SSTV-JCC100、14MHz」の(特記No.7)を取得できました。このことがその後のWAJA(No.8)JCC-200(No.2)を取得するきっかけとなったのです。JCC-200が(No.2)であったことがJCC-300への挑戦となったのです。それに長野のSSTV全国大会での宣言、岩手県での東北のSSTV愛好家のミーティング時に当時の「モービルハム」誌の編集長の川合さんとの約束が引くに引けない目標になったのです。

 
JCC-200を取得した昭和50年代後半は、有線で使用していたFAX機を改造した機械での通信、「FAXモード」が爆発的な流行になっていました。私もご多聞に漏れずこのモードのとりこになり、FAX機の改造や交信に明け暮れていたものです。また、SSTVのコンバーター(左の写真)をFAXアダプタに改造しFAXモードも楽しんだものです。こんな時期にもカラーSSTVを目指しての技術は進んでいたのですね。一方でコンピュータも「マイコン」の名前で徐々に私たちの世界にも浸透し始めていたのです。    

このコンピュータ、半導体の技術がカラーSSTVの登場を待っていたのです。FAXモードの流行が過ぎ去り、SSTVの再来が昭和62年にJASTAから頒布されたSC-87のカラー基板でした。私も早速購入したことは勿論のことでした。このSC-87の頒布を機会にカラーSSTVのコンバーターもNS-88やタスコのコンパクトなコンバーターが流行に火をつけ、パソコンとソフトウェアだけで運用できる現在に至ったのでしょう。それに4級アマを含め全ハムにモードが解禁されたことも現在があるのでしょう。でもいくら流行してきたとしても、やはりまだまだ一部のハムの楽しみだったのですね。画像を取り込むカメラや画像の素材、送信画像にする画像処理などがネックになっていたのだと思います。

これらのことで楽しそうだとわかっている方でもSSTVにQRVする人も少なく、私のJCC-300へのネックだったかも知れません。シャックに入っていれば7033kHzや他のバンドのSSTV周波数を常時モニターするのが常で、未交信の新しい「市」探しをして交信をお願いしました。このようにして交信できた方にはSASEでダイレクトのQSLカードの交換をお願いし、ダイレクトでのQSLカード交換はJCC-150を超えた頃からだと記憶しております。交信ができてもQSLカードが交換できなければアワードに近づかないわけです。現在4つの「市」からQSLカードが未受領になっています。
 
目標のJCC-300を20世紀内には何とかしたいと目指していたのですが、やはり簡単には取らしてくれないものです。QRVをされている局も常連の方が多く、なかなか新しい「市」とQSOができずワッチの毎日(毎日といっても休みの土曜日や日曜日、やはりワッチが基本)でした。1ヶ月で多くて新しい「市」は4つ程度、少なければ一つも無し。そんなこんなで290をCFMしてからは、さらに300が遠く感じられました。

それに最後の300をゲットしてからはQSLカードが待ち遠しいものでした。その間にJARLへの申請の準備を済ませながら、QSLリストとカードをローカル局に証明してもらうために依頼しておきました。 300枚目のカードは7K1OBK/1(佐藤さん)の上福岡市でした。300市の中には積極的に移動運用してサービスをいただいた、佐藤さんやJA7QOU(山崎さん・天童市)に感謝しております。 アワードの申請を6月11日に行い18日付けで取得することができました。
 
やはり、次の目標はずばりJCC-400「No.1」です。
でも、いつになったらできることやら、気楽にあせらず楽しみながらやっていきます。 私にとってはSSTVのJCC-400はDX-QSOを楽しんでいられる皆さん申し訳ないのですが、DXCC300やDXCCのオーナロールより難しく感じられます。
ぜひ、皆さんにSSTVにQRVしていただきたいものです。SSTVを始めて26年でここまでくることができたことは、全国のSSTVの愛好家の皆さんに感謝申し上げます。

JCC-300 SSTV特記No.1を獲得されて喜びのJA7UQ鹿間さんとそのシャックです。次の目標はJCC-400 SSTV特記No.1を目指してワッチを始められました。交信された方には、すみやかなQSLカードの発行をお願いしたいですね。(編集部)

                      


写真と文:鹿間 良之 JA7UQ 2001.07.17
(c) All Rights Reserved WWW.QTC-JAPAN.COM 2001