| ◆JA0SC Hirotada Yoshiike | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
さて、DXCCチャレンジで私は、昭和 61年(1986) 6月に念願のHONOR ROLL 入りを果たしました。Honor Rollの歴史については「CQ」1996年2月号にJA1ADN、井原OMが「DXCC戦後再開 50周年記念 特別企画」で詳細を述べておられます。HONOR ROLL の基本条件は、その時の現存カントリー(現ENTITY)から 9を引いたカントリーのQSLカードをARRLに提出してこれが認められて登録されます。特別のAWARDはなく、希望によりPLAQUE(飾り額)を取得できます。 私はDXCCメンバーになって11年にして獲得したことになりますが、これは個人差があって一概に言えません。最近は猛烈なDXpeditionブームにより、この期間は大幅に短縮されることでしょう。
私がF2(パケット通信を行う場合の通信モード)の免許を取得したのが昭和 62年(1987)3月です。この時TNCをNID-80で組み上げました。 これをNECの9801Noteに繋げたのですが、この段階では現在のようなRBBS、コンタクト情報はなく、90年代に入ってからになりました。 「OPDX」、「ARLD」、「DXNL」「425DX」のDX情報は1989年の後半から、「コンタクト情報」が1993年 1月早々からコピーとして残っています。「The DX Bulletin」は1993年10月まで購読しているので、以後インターネットへの切り替えまでDX情報は、もっぱらパケットに依存したことになります。 時代は平成に入り元年(1989)2月にインターネットに接続しPC-VANに加入、始めは各種のソフトをダウンロードしてLOG(MyLOG)、JE3HHT、森さんが開発したDXTERMなどを動作させていました。 無線関係では昭和 63年(1988) 9月からFT-901&FL-2100BにアンテナタワーCRANK-22を設置現在に至っています。
同年(1989)8月からNECの文豪Mini 5を入手してワープロながらCP/M(8ビット)とMS/DOS(16ビット)の共存するCPUを使っていることから話題になり、私もこの動きに参加、同人誌の文豪通信8号でマシン語講座を担当するとともに、前掲のCWデユープ・チェック・キーヤーの移植を発表して自身でも1990年から1992年にかけてCQ WWなどのコンテストに参加しました。
90年代に入り平成 5年(1992)10月にJA1KFX、西山OMからCWデュープ・チェック・キーヤーのMS/DOS版「LGR」が発表されて、これを本格的にDXコンテストに使用しました。この時期アメリカで「CT」が出現(80年代後半といわれる)、この「LGR」はFree Wareでは「CT」に負けず劣らずのソフトで、以後WIDOWSを入れるまでDXコンテストに愛用しました。CTは平成 8年(1996) 6月に購入、以来コンテストで愛用しています。英文取説を日本語にして持っています。ご希望があれば個々にQSYします。 平成 5年(1993) 1月からは 1年間JA0-DX-GANGの会長を務め、DXerとしてはこの上ない名誉の勲章を授かりました。 平成 8年(1996) 5月にはペンティアム100のデスクトップ・パソコンを組み上げWINDOWS 95を使用、翌 6月からはBIGLOBEに加入、同年12月にはDREAM*NETに移行してインターネットに本格的に参入しました。 ■The Daily DX #1 Issue
趣旨説明の中で「The Daily DX news arrives before the information is out-of-date. 」(情報が時代遅れになる前に到着するNEWS)とあります。 これにより「The Dail DX」でのDXぺディション情報と「パケットクラスターによるリアルタイム・コンタクト情報」と「インターネットクラスターによるDX Summit、The Japan DXクラスター」と並んでDX情報の双璧の役割を果たしています。 手前味噌になりますが、"SSTV DX NEWS"もこの趣旨を生かすとの目標で提供しているつもりです。 90年代も後半に至り「デジタルモード」の運用が開始されました。すなわち、SSTVの開始です。1997年12月号「CQ」にJG1VEM、小出OMのW95SSTVの解説記事をみて、CPU 100MHzの組み立てたパソコンに入れて受信すると見事に画像が入り、これはいけると思い翌年 3月にF5免許を取得して運用を開始しました。たまたま長野県で「全国SSTV大会」が行われたこともあって急速にはまりこんでいきました。 ■DXぺディションの開始、#1Honor Roll の完成 平成10年(1998) 9月にSONY VAIO NOTEを購入、これを持参してその年の11月にMariana I.(サイパン島)KH0/JA0SCで最初のDXぺディションを行いました。この時は旅行社の設置したシャックでの運用でした。 以後3D2HY、フィジーに行き2000年代に入り、XU7ABE、カンボジア(この時は単独でしたが旅行社に随行して)に行きました。翌'2001年にはA35SC、Tonga,、5W0OHY、Samoa と 3D2HYのトリプル遠征をこなしました。ついでT22SC、Tuval と9N7SC、Nepalと都合 5 Entityをこなし、Fuji、3D2HY をツバルの前と後に運用して7か国で電波を出しました。 昨年(2002)はVK9CI、Cocos-Keeling Is.、VK9LI、Load Howe I.で運用しました。今年も条件の許す限りでかけていきたいと考えています。いや、いつまで続けられるかが問題です。
と同時に自らもコンテストの経験を生かして「SSTV Contest 2001」QTC-JAPAN.COM主催に優勝、同じく「ニューフェイスコンテスト」、「アクティビティコンテスト」ともにJASTA(日本アマチュアSSTV協会)主催で優勝しました。
単純に計算すれば、当時のマイナス 9 Entityを取得すればよいものを、なぜ16年も要したのでしょうか。自分でも不思議に思いますが、この間NEW Entityの増加が激しく都合20 Entityが追加されました。前回の9を加えて29 Entityをこの間にとったことになります。 それにしても懸かり過ぎですね。これは1995年にP5北朝鮮がDXCCに有効となり、この1 Entityが 7年あまりの浪費をもたらしたのです。 2002年にはADSLに加入インターネットを常時接続して、DXぺディションに情報収集におおいに活躍しています。以上ほぼ年次毎に、この40うん年あまりを振り返って見ましたが、途中つじつまの合わない点があって気がかりですので分かり次第訂正したいと思います。(おわり) 長野市松代町在住・吉池 弘忠 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
de JA0SC
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 【私の履歴書・前編】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
QTC-JAPAN.COM 2003.02.14
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
(c)
All Rights Reserved WWW.QTC-JAPAN.COM 2001
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||