| ◆JA0SC Hirotada Yoshiike | |||||||||||||||||||||
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時は変わり1970年代に入り10WでDXをやるのに限界を感じ、パワー、アンテナの強化に努めました。 2 アマを昭和 47年(1972)に、1アマを 50年(1975)に取得しました。1 アマは電信のみ合格後、免除期限ぎりぎりの取得でした。 それで同年 5月にDXCCメンバー登録を果たし、同51年(1976) 1月に「JA0-DX-GANG」入りを果たしました。翌2月にはFT-DX400 & FL-2100Bと4エレメント八木アンテナ「CD714c」を上げ、念願の 500ワット、大型アンテナでの運用を開始、名実ともにDXersの仲間入りをすることができました。
GANGの先輩諸氏と接触するなかで、DXぺディション情報の取得が重要なことを知り、昭和5 3年(1978)8月にWest Cost DX Bulletinの購読をはじめました。これは翌 54年(1979)7月に休止となり、翌 8月からはThe DX Bulletinがスタートして購読を開始、昭和 68年(1993)10月まで続きました。
■Dxer仲間との交流、コンテスト本格参加、 マイコン使用 無線運用も 30年目に入り、1980年代は私のDXerとして爛熟期を迎えることになります。昭和56年(1981)2月に東京九段会館で「第1回東京DXコンベンション」が開催されました。 「JA0-DX-GANG」の仲間からの誘いがあって、私もいっぱしのDXer気取りで全国の錚々たるたるメンバーとこんなに早く一堂に会することができるとは夢にも思えないことでした。
エレキーに始まったアマチュア無線のエレクトロニクス化は、「HAM Journal」No.27(1981年10月発行)でいよいよZ80CPUが登場するZ80搭載コンテスト・キ−ヤ−(JR3KEG、山内雪路)が発表されました。これは「Accu Memory」に不満を感じ、特にシリアルNo.の自動送り出し、間欠読み出し、副次的にCWの受信練習などができました。 発表では蛇の目基板を使用したので、私は昭和 57年(1982)に了解を得て基板を作り、希望者に10数枚領付しました。この時期すでにロジック回路を勉強していた関係で、ロムライターを作りロムの焼付けも行いました。ここで使われたメモリーは4Bit、500Byte「HA472114」を4つ重ねて、8Bit,1Kbyeの回路でした。ロムは「2716、1Kbyte」、基本OSは8Bit、CP/Mが使われていました。 これを期にコンテストの参加がしやすくなり、CQWW、WPX、ARRL、ヨーロッパの主なものは毎回 CW、SSBに参加しました。しかし、ダブリのチェックは手作業で行うため、この後のパソコン使用のコンテスト・プログラムに移行することになります。 (続く) 長野市松代町在住・吉池 弘忠 |
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QTC-JAPAN.COM 2003.02.05
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