OMCA in Saipan(サイパン島のOMクラブ)
By Masao Matsumoto,JA1AYC
 
■ 2001年2月1日
かくしてK氏、O氏およびM氏は出発前日成田のホテルにチェックイン。万全の構えです。S氏、T氏は当日家から朝一番で直行するとのこと。O氏が旅行用に用意したバーボンのボトルが一夜の露と消えました。

■ 2001年2月2日
電車便の都合で午前8時すぎには空港に到着すると言うS氏、T氏のこともあって、前泊組も早々と朝食を取ってホテルの連絡バスで空港ターミナルへ。本日はNW便なので第一ターミナル、すなわち古いほうに集合です。

点呼(と言ってもたった5人ですが)をしてコート類を一時預かりに預け、いざチェックイン。最近の成田は個人でも団体でも一人ずつチェックインのシステムです。ところがところが、機体の整備の遅れで、出発が3時間遅れになるとのアナウンス!

なんと朝一の出発やチェックアウトが無駄になりました。とは言ってもいまさら中止にできません。まずは空港内でゆっくりとお茶をいただくことになりました。

続いての昼食は遅れのためにエアーラインから支給された金券が役に立ちます。午後1時半、ようやく飛行機が離陸しました。これから3時間、現地時間は日本より1時間進んでいますので、現地時間ではおよそ5時半すぎの到着の予定です。  

事前に連絡を入れていたので、ホテルの出迎えも支障なく、6時すぎにはホテルに到着しました。フロントでチェックインの手続き、そしてホテルショップで水、ビールの買出しをしてシャックに直行です。残念なことに日はとっぷりと暮れて、既設の八木以外のアンテナの架設は明日の仕事になりそうです。
準備ほぼ完了 ホテルフロントから遠景の丘の上にシャックを望む
 
■ 2001年2月2日午後7時半(日本時間午後6時半)
リグを箱から取り出したり、オペレーションデスクの設置を行って、とりあえずは7、14、21、28MHzの乗っているForce12のアンテナをリグに接続し、テストを行います。第一声はM氏、21MHzで聞こえているポーランドの局をコールします。

問題なく即時応答があって599/599で交信が成立します。やった!と思う間もなく5人が所属するJAのCWクラブの会長からブレークが入ります。「どうやって、この周波数にいることがわかったのかな?」「たぶん張っていたのでは?」

案の定、帰国後に判明したところでは、「多分そろそろ出てくる時間だな、そして出るとしたらまず21MHzあたり」とバンド中をスキャンしていたのがビンゴ!だったようです。引き続きヨーロッパ勢の攻勢が早くも始まります。こんな時間帯に強く入ってくるなんて、少なくもJAでチェックしていた様子とはまるきり違います。

横では別フィーダーで給電されている7MHzのオペレーションも開始されました。こちらも調子が良い様子です。またたくまに1時間を経過しOPチェンジ。その後も交代で運用し、深夜午前1時半に及びました。
順調な滑り出しにまず乾杯! 運用中のO氏
 
■ 2001年2月3日
いち早く起きだしたメンバーがリグに取り付いています。しかし、なにはともあれ他のバンドに出る準備をしなくてはなりません。5mほどの大型屋根馬には 2エレメントのHB9CV(10,18,24MHz用)を取り付けることになって、若手のO氏を中心にベテランのK氏、S氏がエレメントの組み立てに取り組みます。

何度も組まれ、外されのくりかえしで、ビスナットやエレメントの一部が少々ガタがきているのが気になります。 一方、T氏とM氏は全長80mの1.8MHz用ダイポールの設置に着手します。大きな木が周りにありませんので、高さはさほど望めませんが、それでも給電部には10mの伸縮ポールを椰子の木にくくりつけ、左右の端はやはり椰子の木と八木の上がっているタワーにとりつけました。これで3.5MHzを除く全バンドがとりあえず完成です。

シャック近くに位置するゴルフ場のクラブハウスで朝食兼昼食をとって、オペレーションは途切れることもなく夕刻まで続けられます。おしむらくは21MHzを運用中は18、24MHzにかぶりがあって、同時運用がそれほどスムーズにいきません。

でも10MHzはばっちりで快適に飛ばします。6日間シャックに缶詰ではなんぼなんでも、特に外国が初めてのS氏には気の毒と(実はM氏以外はいずれもサイパンは初めてでした)近くのショッピングモールまでバスで出かけます。一日往復券は一人3ドルでした。最初の外食はイタリアン、特大のピザとパスタの組み合わせ、それになみなみ注がれた生ビールで乾杯!でも誰しもお空の様子が気になって 早々に引き上げです。  

朝の苦労が報いられて、1.8MHzも快適な出だしです。なにしろ日本ではローバンドは常にノイズとの戦いの感もあるのですが、ここに来て見ると、まるで違います。あの1.8MHzがあたかも7MHz並に聞こえるのですからたまりません。

O氏はバンドを問わずかじりつき早くも運用部長と言う名誉が与えられました。M氏はトータルコーディネーションを受け持って企画部長、K氏は設営部長、S氏は後方支援部長(なんと部屋の片付け、食器洗い、飲み物サービスと面目躍如の活躍です)そしてもちろんT氏は大OMとあって総括・団長と言う役割です。
スコールの後に虹がでました レンタルシャックは右端の青い建物です
 
■ 2001年2月4日
なにしろ日曜日ですから、稼ぎどころです。朝から各バンドでパイルアップを浴びます。まさに<南の島に音が降る!>で、どれを拾ったらよいか各人うれしい悲鳴の連続です。「勉強になるな!」「JAからDXを呼ぶ場合のコツがこれでわかった!」と収穫もありました。18-21MHz、21-24MHzの相互のかぶりもリグに慣れたせいもあって、DSPを使いこなしてある程度解消します。
後方支援部長S氏が荷解き中


今回のオペレーションはCWを中心とする企画ではありましたが、たまらずに夜分になるとM氏がパソコンをつないでRTTYやPSK31にも挑戦します。

もちろん CWやSSBに比べるとはるかに能率が落ちるのですが、それでもヨーロッパからの要求は予想以上に高く、パイルが続きます。もちろんその間強力なJAの信号が割って入るといった具合です。

この日10MHzのオープニングは深夜にまで及びヨーロッパとJAの信号がなかなかとだえません。O氏はシャックに備え付けられていたメモリーキーヤ−に自分のコールサインをインプットして執拗にCQとQRZを繰り返します。 なにしろ各人KH0/にそれぞれのコールサインと言う組み合わせですから、一回あたりの送出文字が多いのです。この日設営された3.5MHz用のツエップが試されます。

前にこのレンタルシャックを利用した人の感想を読んでいたら、どうやら3.5MHz帯の調子が悪く、時折ブレーカーが落ちるとのレポートがありました。リニアアンプを使う、使わないと言うことではなく出力に関係がないトラブルのようです。滞在中たがわずして、このブレーカーの落ちる事故?が数回ありました。

よってトータルQSOで3.5MHzの成果の少ない所以でもあります。T氏は1.8MHzを中心に責めているようです。K氏は21MHzが相性が良いと見受けました。最初は遠慮がち(初の DX旅行の気疲れ)だったS氏もだんだん乗ってきています。M氏は他の方が出ないSSBやデジタルモードの運用を間隙を縫っておこないます。
 
■ 2001年2月5日
初めてのしっかりした朝食をホテルのレストランでとりました。昨日何人かで食べた ランチブッフェが一人11ドルだったのに、朝食は17ドルもします。「なんで?」多分昼は街中に出かけて昼食を取る人が多いので、ホテルに引き止め策として昼食は特別プライスなんでしょう。
朝食後は再度シャックに戻りますが、T氏、O氏、M氏は午後一番で隣接したゴルフ場でしばしのリゾートライフ!10年振り、1年ぶり、半年ぶりとそれぞれ自信のほどはさておき、カートに乗っての球遊びもまんざらではありません。一時は無線の 興奮を忘れて球を追いかけました。

夕食は再びショッピングモールで豪華な中華料理、これは昨年すでにトライしたM氏の折り紙つきでビール、紹興酒を共にしばし団欒。すでにウィ−クデーに突入してはいますが、まだまだお呼びがあると夜の運用に備えての十分な腹ごしらえです。

追加のビールや水(実はシャックでは水を沸かす程度の設備のみですから、夜食はせいぜい持ち込みのカップ麺程度、従って大量の水が必要になるのです)を買い求めていざ第二ラウンドへ!かくしてこの日のオペレーションも深夜に及びます。
 
■ 2001年2月6日
フルに運用できるのも今日一日です。オペレーションは早朝から始まりましたが、朝食は遅めにゴルフクラブで取ります。ここの石焼ビビンバが最高なんです!お腹も一杯、元気も一杯と言うことで、昨日の3人は再び球追いにリベンジ、よほど昨日のスコアが悪かったのでしょうか?

それとも日本では味わえないのんびりゴルフが気に入ったのかな?そしてS氏とK氏は留守番オペレーションに。今日はゴルフ組も早めに終わり、夕刻には全員勢ぞろい、でも今日が最後とて、夕食の外出はカットされました。

日本から手分けして持ち込んだカップ麺が大活躍。2本のウィスキーも機嫌よくキーさばきとともに消えて行きます。ビールもそろそろ底が見えてきました。さすがに疲れも見えて、時折キーを叩く手を休めて談笑する姿もあります。でもO氏だけはしばしも休みません。さすが運用部長。そしてS氏も顔つきが変わってきました。それぞれのバンドは相変わらずの賑わいです。

折から他のDXペディションもないせいか、どうやらKH0組が人気を一手に集めた感じすらします。EUのパケットクラスタにでも出るのでしょうか。バンドチェンジをして少し経つと、どっと怒涛のようにトンツー音が押し寄せます。

「Thank you for New One」新しいエンティティをありがとう!のメッセージも少なくもありません。日本からみると庭先のようなサイパン島ですが、やはりヨーロッパや北米の東海岸、中南米から見るとまだ価値が残されているんですね。
 

■ 2001年2月7日
泣いても笑っても今日で最後、午前中にはリグ・アンテナを片付けて帰りの準備をしなくてはなりません。そんなせいか皆起きてくるのがいつもより早いようです。中にはすでに帰りのパッキングを済ませている人もいます。

朝一は低調だった24MHzに火がつくとM氏がいてもたってもたまらずに「ほんの一寸ね!」と言いながらキーに食らいつきます。外では早くもご用済みとなったローバンドのアンテナ撤収が始まります。

ここでもK氏、S氏、それに十分堪能したO氏が先導します。
時間ぎりぎりの運用を終えたのが午前10時少し前(日本時間9時)、これから手のかかるHB9CVの撤収とクランクアップタワーのまとめ(タワーダウンとフィードラインの防水処理等々)、シャワーを使って、最後のビールで乾杯を終えたのが約12時のことでした。

快い疲れと、目一杯の感動と、まだ頭の片隅に響くCW音をみやげに空港に向かいます。成田到着午後7時30分。再びみぞれの降る日本に戻ってきました。お空での再会を約し、次なるDXホリデーの期待を胸に各人帰宅。

かくしてOMCA(YMCAならずOld Man's CW Association=老人トンツー連)の5泊6日の南の旅が終わりました。 Thank You!
 
■ 交信実績
全QSO数
8,445
18MHz
697
内CW 
7,816
21MHz
1,289
1.8MHz
364
24MHz
768
3.5MHz
224
28MHz 
877
7MHz
1,579
SSB
456
10MHz
1,298
RTTY 
117
14MHz
720
PSK31 
56
文中に登場したT,K,S,O,Mの各氏は次のメンバーです。  
KH0/JA1DD、KH0/JA1IVL、KH0/JG1BAH、KH0/JJ1KXB、 KH0/JA1AYC
 
 写真&文:JA1AYC 松本 正雄 (2001.02.14)

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