歴史をひもとき、SSTVを愛好したOMたちの足跡をたどる
 

 Hirotada Yoshiike JA0SC

 3/3 → "Here & There SSTV"から見たSSTV運用の変遷(1)改定版
3/11 → "Here & There SSTV"から見たSSTV運用の変遷(2)
6/3 → "Here & There SSTV"から見たSSTV運用の変遷(4)
4/20 Updated → [SSTV愛好家の皆さんから感想が寄せられました]
 
     
 

前回は1977年モノクロS/C期からカラーSSTV模索期までのわずか 4年間の変遷でした。この間は第 2次SSTVの興隆期であり、ヨーロッパでコンテストが始まり、日本でもSSTVアクティビティー・コンテストが始まりました。アワードハンティングは最初の目的に到達するとともに、この時期に早くもSSTVの海外運用(DXぺディション)が行なわれました。

ついでモノクロスキャン・コンバーターからカラーSSTVへの移行期をわずか半年の短い期間ではありましたが一応の展望を試みることができました。 今回はカラー全盛期を迎えSSTVの第 3次の興隆期すなわち黄金期を迎えると同時にスキャン・コンバーターの終焉とパソコンに移行する過渡期を探ってみたいと思います。この間1984年以降は手持ち資料が少なく、簡略な内容となってしまいました。

「SC-84カラースキャン・コンバーター」(提供:アマチュア無線局JH3VSRの歩み)

■ 1980年代後半 カラーSSTV普及期

1960年にはNHKや民間テレビ局がすでにカラーの本放送を開始していましたが、これに遅れるれること20年、SSTVもカラー化は先人各局により試みられていました。(カラーSSTV模索期)
1980年アメリカの"デイトンハムベンション"でW9NTP、ドン・ミラーによりS/C 2ページ分のメモリーにより順次方式でカラーSSTVが公開されました。この年の12月18日にJAでもカラーSSTVのコンタクトが、JG1DDT、神原さんとJA1EKK、大島さんとの間で、14.230MHzでW9NTPと同じ方式で行なわれました。

「W9NTPのシャックと受信画像」(提供I4LCF、Franco   
「I1/I4LCFのシャックと受信画像」(提供 I4LCF、Franco

この時期は前期で始まったSSTV海外運用が活発に行なわれました。JH4RUG、JA1UT、林OMその他メンバーによって 9月13日からC21NI、ナウル共和国でSSTVを運用、17日からはT3AZでキリバチ共和国のギルバートから行なわれました。この時JA7QM、菅原さんが"1st Ever T30を 9月18日に獲得したとリポートされています。運用は23日まででした。

赤道直下の6m・SSTV・HFサービス(CQ ham radio 1980年11月号)

4月5日の第1回に続きGARTG(ドイツのRTTYグループ)による第 2回WW(世界)・SSTV GARTGコンテストが10月11日、06:00−24:00にわたり実施されました。

主なルールは、年2回(4月、10月開催、06:00から24:00UTC)、RSTナンバー001形式でお行なわれます。 また日本では第4回アクチビティ・コンテストは参加の少ない"SSV"が廃止され、運用日数が24日の限度を超えることができるようになりました。

コンテストナンバーがRSV+送信出力、マルチはJAのエリア12、JAを除くDXCCカントリー(現Entity)、日数マルチは、最大24としなりまた。この結果総得点は、得点(交信数)x(エリア+カントリー+日数)、賞は 3位までに賞状を、運用日数24日以上の参加局にアクティビティー賞が贈られることになりました。

結果は1位HM1AQ、現HL1AQ(85,275点)以下JA6ARW(72,135点)、JA1JRK(59,3400点)となり、JA局以外の優勝者となりました。参加局のアンケートによるとSSTV装置は、S/C 97局、残光性ブラウン管13局でS/Cが主流でS/Cに残光性ブラウン管使用の局が混交する興味あるものでした。

この時期のSSTV ロールコールに140局が参加、実施は第1日曜、10時が全国ネット、NC局はJG1DDTとなっています。ロールコールはキー局も1エリアからは全エリアがカバーできず、JH6KWM村山OMには当時の佐賀県からの支援が欠かせないものでした。常時100局を超えるチェックインで10:00〜12:00にわたって盛況で、皆さんからの希望やQSPに活用してもらっておりました。

途中から14.230MHz以外に、21.340MHzにもロールコールを実施。時間も負担が多くなってきましたので、10:00〜11:00に限って継続できました。 430MHzによる京阪神ネット(毎週日曜日、09:00から430.230MHz付近)も行なわれてJA3EUPがNCとなっています。

 
     
 
SSTV-WASとSSTV-DXCCのAwardの発行が決まる
 
「Here & There SSTV」のコピー(CQ ham radio 1980年1月号)
1981年1月からATVマガジン(Amateur Television Magazine)で「SSTV-WASSSTV-DXCC」のアワードが発行されることになりました。これを機会に"Here&There SSTV"でもカントリー(現Entity)数を紹介していくことになりました。 "Here & There SSTV"に「CONTEST」欄が設けられ「WW SSTV#1 GARTG」コンテストのルールが発表されています。

日時:4月4,5日、15:00-15:00JST、周波数が3.5MHzから28MHz、ナンバーはRST、001のシリアルナンバー形式、スコアは3.5-14MHzが1ポイント、21MHzが2ポイント、28MHzが 5ポイントでハイバンド有利、マルチはWAE(Worked All Europe)/ARRLリストによるカントリー数(バンドごと)x大陸数(最大6)、ボーナスポイントがGARTGメンバーとのQSOに50ポイントなっています。

4月末から5月にかけてJH4RUGほか 4局が、8Q7(Maldive諸島)へSSTVを含むDXペディションを行なっています。また5月 2日から 4日にかけてJD1ADP、JF1CSC、JE1SMBの 3局が小笠原の父島へ移動してSSTVのサービスを行ないました。

14MHzで約50局とのQSOでしたが、50MHzはコンディションが悪くコンタクトができなかったとリポートしています。 JA1UT、JH4RUGにより、8月 8日からCR9JAのDXぺディションの運用記が載せられてマカオでの初のSSTV運用がなされ、JA1JRKが1st Everを獲得されました。13日には50MHz SSTVのQSOを完成、6局とQSOできたと報告されています。
「1982 GARTG Contest」優勝賞状(提供、JA1XGI,内田晴久)
同じく10月号で8月23日晴海のハム・フェステイバルにJASTAの82年度総会でHM1AQ、Sung さんを迎えて協議が行なわれ、「アクティビテイ・コンテスト」、「カラーSSTVの基板製作の進め方」、「SSTV普及のための電話級への開放」が議題となりました。

1982年今年から"Here & ThereSSTV"のエディターがJG1DDT、神原克彦さんに代わりました。

第3回WW SSTV コンテスト(GARTG主催)でJA1XGI、内田晴久さんが12,750ポイントで優勝、世界にその名をとどろかせることになりました。
 
▼電話級アマチュア無線技士に3F5のSSTV許可される
 
「SSTVへの誘い(1)」(1982年9月号CQ ham radio)
7月31日付官報で電話級、電信級アマチュア無線技士に3F5のSSTV、RTTY、FAXが認可されました。これにより連載「電信・電話級に画像通信開放!SSTVへの誘い」が大島英治、JA1EKKにより9月号から始まり、電話級にもSSTVが開放され一段と普及に弾みがつけられました。

全国ネットロールコールは電話級の参加を踏まえて第1土曜日、21.340MHzに変更されますます盛況を極めることになりました。

▼インタナショナルSSTVネットが華やかに

この間2色、3色のカラーSSTVが運用されるようになりました。 インタナショナルSSTVネットが華やかに 1983年2月26日から「インタナショナルSSTVネット」が21MHzと28MHzで、ネットワークがW1REQにより開始されました。

キー局はPA0DXY、Kees Sanders が担当、時間は毎週土曜日の16:00UTC、周波数が28.676MHzでチェックインを開始、コンディションが不良な時は16:15UTCの21.440MHzにQSYします。

ネットのスタートは、B/Wの8秒画面とカラー送出、呼び出しは"CQ International Slow Scan TV NET"で行なわれました。 A5マガジン主催の「WAS SSTVコンテスト(Worked All States、ARRL発行のアメリカ合衆国の50州の交信賞)(主催A5 MAGAZINE「U.S.A.」)が2月13、14日の36時間(休憩12時間)で行なわれることになりました。

3月には「国際SSTVネット」が毎週日曜日、03:00JSTから14.230MHzで開かれています。
また、「New SSTVネット」が3.9−3.96MHzで毎週火、木曜日の13:30UTCから"Western Slow Scan"としてネットが開始されました。「CQ SSTV」B/W、8分呼び出しで、チェックインを開始します。ネット・コントロールはKH6ITY、Larry とKE6QR ,Gary が担当しました。
 
▼パソコン スキャン・コンバーターの登場
 
「HAM Journal」33号、1983年 3月号「徹底特集ビジュアル・コミュニケーション&パーソナル・コンピューター」でJA2BWH,JA0RVJ、JA7BZCがパソコンを使った「SSTVスキャン・コンバーターの製作、SSTV送受信プログラム、キャラクタ・ジェネレーター、アニメーションプログラム」が発表されました。
 
「特集ビジュアル・コミュニケーション」(HAM Journal 33号抜粋)
 
「カラーSSTVへの招待(CQ ham radio 1983年6月号)

8月号で神原OMは、「世界のSSTVは早や100カントリーにおよび、15,000局を超えています」とリポートされています。"WORKED & VIEWED"参照。

8月19〜21日のハムフェア'83で「マイコンと画像通信」のコーナーにJA1UFF製作の3色カラー、JA2BWHのMZ-80によるSSTVおよびJASTA開発中の3色カラーSSTVその他カラー・オンパレードが展示されました。

この間「CQ ham radio」で取り上げられたカラーSSTV関係記事を列挙すると、「カラーSSTV」(1981年 1月号)、SSTV機器をFAXに」(1982年4月号)、「SSTVの誘い」(1982年 9〜12月号)、「カラーSSTV」(1983年 6月号)と多数にのぼります。

1984年には「JH3VSRのあゆみ」による、とアメリカのロボット社からマイコンを内蔵したROBOT-1200C型カラー・スキャン・コンバーターが発表されたとあります。 1985年にはパソコン使用のSSTV機器が盛んに組み立て使用されるようになっています。

12月号において"Here &There SSTV"が単に"SSTV"に変わっています。この中で「PC-9801]、「パソコン使用」、「PC-8801/IF」などの文字が誌面に氾濫しており、パソコンSSTVへの関心の深さがあらわれています。
▼IVCAコンテスト開催される
 
「87年IVCADXコンテスト賞品」(提供JA1XGI、内田晴久)
1986年4月に第1回 IVCAコンテスト(International Visual Communications Association)が開催されました。2002年のルールでは期日が4月の第 2土、日の48時間、001方式、ポイントは同一ゾーン 5点、他10点(ゾーンは南、北アメリカ、ヨーロッパ、アジア、南太平洋とアフリカ)、14MHz以下のバンド2点、21MHzとサテライト経由が各3点、(コンタクトはバンドが異なればQSOできる)。

ゾーンごとに初回の優勝者には賞状とトロフィーが贈られています。 この年JA1HHLがカラー用ロボット社の1200C、800Cを入手使用しています。

1987年にはJH3VSRの歩みによると、JASTAからSC-87カラー・スキャンコンバーターキットが領布されています。IVCA DXコンテスト1987でJA1XGI、内田さんが#1Japanを獲得されてIVCAコンテストでの日本人最初のWiner(勝利者)となりました。

U.S.Aにおけるメディア・マガジン「SPEC-COM」8月号でJAからのSSTV情報がふんだんに掲載されていると「SSTV」で報告されています。
 
「IVCA1988DX Contest」賞状
(提供SM5EEP、Nils
「IVCAコンテスト優勝トロフィー」(提供SM5EEP,Nils) 「IVCA1990DX Contest」賞状
(提供JA1HHL、八木義人さん)
1988年にはJH3VSRの歩みによると奈良SSTVグループからNS-88カラー・スキャンコンバーターが発表されました。SM5EEPはIVCA1988 DXコンテストで最初の優勝「#1Sweden」を果たしました。
1990年には全国ネットコントロールの状況が報告されて10月7日25局のチェックイン、14日に10局のチェックインがあったとリポートされています。

IVCA1190DXコンテストでJA1HHL、八木さんが#1Asia、#1Japanを獲得されました。八木OMはこのほか1991年#1Asiaを獲得されています。
 
▼全国SSTVer大会開催される
 
1991年に第1回全国SSTVer大会が奈良市で開催され、76名が参加しました。担当は泉州テクノハムクラブと奈良SSTVグループでした。1992年第2回奈良市、1993年第3回富田林市で開催され、地方で持ちまわり開催がはじまりました。
「1991全国SSTVers 奈良大会」(提供 アマチュア無線局JH3VSRの歩み)
IVCADXコンテストでJA1HHLが「#1Asia」を獲得されました。JH3VSRの歩みによると、松村電子からNS-9100シリーズカラー・スキャンコンバーターが発表されました。

1992年には92年「IVCAコンテスト」の結果発表あり。1位 SM5EEP、1710ポイント、2位 EA2JO、1610ポイント他。Zone 6エリアトップにJA1HHLが取得しました。
 
"WORKED&VIEWED"で活躍されたDX局、リポーター局
 
この間(1980年 1月号〜1983年12月号)"DX局"が、カントリー別で新たに4S7RM、A9XCX、AP2AD、C21BD、CR9JA、FO0FB、FY7BQ、GI3TLT、GW4BJE、H44CD、HP1RA、HS1WR、JE1SMB/JD1、KG4FM、KH0AC、KX6PO、LX9AA、T3AZ、TF3IW、TI2SW、TU2I、UB5UAQ、VP2VEJ、VP5SDA/HK1、XE1DB、YO8FR、YV5AQS、YV5AQSの28カントリー(現Entity)となっています。

JA7FS,佐々木さんの1974年1月号「特集/スペシャライズド・コミュニケーション」でCR6IS、ET3JHとQSOのリポートがありました。よって30カントリーになりました。 前回の73カントリーと合わせて103カントリーになり"DXCC(DX Century Club)メンバーの権利取得数となりました。
 
「SS-88S,キャラクタ・ジェネレーター」
(提供 アマチュア無線局JH3VSRの歩み)
"JAsリポーター局"では、前回より大幅に増えて

JA0DWY/1、JA0LSH、JA1BAL、JA1HHL、JA1PGM、JA1XGI、JA1XVY、JA2AOK、JA2CGC、JA2JJP、JA2JPX、JA2MWX、JA2SKU、JA2UJ、JA3AKT、JA3CF、JA3EQC、JA3GXD/1、JA4EBS、JA4FCV、JA4FYK、JA4GXD/1、JA4MBM、JA6ARW、JA6AWI、JA6AYY、JA6DZI、JA6DZY、JA6JAV、JA6XX、JA6YAP、JA7BAL、JA7CCG、JA7FBZ、JA7KID、JA7PCZ、JA7QM、JA8PPE、JA8RC、JA8TNH、JA8TSG、JA9AQC、JA9JQC、JA9WMS、JE7KQU、JF1CSC、JF3SYV、JG1DDT、JH1IMX、JH2WTQ、JH3GOB、JH4GJR、JH4MTE、JH7IMX、JH8CFH、JK1TOJ、JR1BDG、JR1UDK、JR2BAS、JR3VMJ、JR7FHNなど62局があがっています。

DXcallは、新しいカントリーの1カントリー1局、JAsは全局を挙げました。
 
今回記述にあたりJA1COW、森政雄さん(1978年まで)、JA1PX、秋田完さん(1979年ー81年)並びにJG1DDT、神原克彦さん(1982年以降)およびSM5EEP、Nils さん、I1/I4LCF、Franco さん(コンテスト関連)から多数の資料をいただくばかりでなく、不明な点の示唆を随所にいただきました。加えて本稿の監修をもいただき万全を尽くすことができましたことをこの場をお借りして心より感謝申し上げます。
 
[記事参照]
 
「SSTV HAND BOOK」中村正仁著、CQ出版社
「アマチュア無線のあゆみ、(日本アマチュア無線連盟50年史)」、CQ出版社
「アマチュアのSSTV技術」河田至弘、森政雄著、CQ出版社
「CQ ham radio各号」および「CQ ham radio総目次データー」、2001年1月号付録CD-ROM CQ ham radio、CQ出版社
「SM5EEP,Nils Home Page(http://web.telia.com/~u22314111/)」
Milstones as SSTV Ham,SSTV Contest and Awards、My SSTV 1972etc.
「アマチュア無線局JH3VSRの歩み」http://www.tvk.zaq.ne.jp/jh3vsr/ayumi/SK2.html
「Jurassic photo handbook of Slow-Scan TV by Franco Fanti I1/I4LCF (CD)」I1/I4LCF、Franco,Fanti
 
de JA0SC

QTC-JAPAN.COM 2005.03.28
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