1300万人の人口を誇る上海市の中心、静安区青少年活動センターの大教室で「MMSSTV講習会」が開かれました。同センターにはクラブ局BY4BJAが開設されていて、衛星通信、EME通信にも取り組んでいる上海でも意欲的なアマチュア無線のグループです。 今回のテーマ「MMSSTV」は上海でもSSTVのソフトウェアとして良く知られており、Webサイトからダウンロードして、そのコピーが出回っていました。ただ使い方が良くわからないというのが難点のように見受けられました。

私が上海を訪問したのが運の尽きで、それほど詳しいわけでもないのにせがまれて操作法を教える破目になりました。前項で述べましたように上海市軍事体育倶楽部にBY4AAのシャックを訪ねて、友人のBA4AAの徐先生にMMSSTVの基本的な操作方法をお教えしたところ、飲み込みの早い徐先生が早くもご自分のものにされた下りを書きましたが、このことが「MMSSTVの講習会」を大成功に導くことになったのですから、ついていたとしか言いようがありません。(タイトルの写真は無錫の映画村の古代の軍船。中国の大河ドラマ”三国志”を撮影した野外スタジオです。新しい観光スポットとして人気上昇!)

 
 
■上海のオールドタイマー
MMSSTVの講演は英語から中国語に通訳されて聴衆に伝えられます。言葉の変換と伝達、これはなかなか簡単ではありません。上手く伝えられないもどかしさと、ついには中国語への変換がスムーズに行かなくなりましたん。それもそのはず専門用語が続々と出てくるに至って、通訳を務めたチェンさんこと宋慶齢基金会連絡処の処長、鄭さん(元BY4ALCの台長)も立ち往生してしまいました。もちろん私の会話にも問題はありますが・・・。

50人ほど収容できる教室に8割の入りでした。最前列に親しい顔が待っていてニコニコと微笑を投げかけてきました。BA4AD、Davyさんです。SSTTV愛好家ならご存知のドクターGuo、中国の名は郭徳文先生、1940年代にアマチュア無線をはじめて、すぐに戦争や文化大革命などでアマチュア無線が禁止になり、個人局の再開局は1990年代にまで待たされた根っからのアマチュア無線大好き世代です。

BA4AD デヴィさん、郭徳文先生、医師。BY4AOMの会員。夫人のグレースさんはBD4AD

お年は70代前半、いまも市内の病院に勤務される毎日です。その隣には上海市電子学会(BY4AOM)の幹事、BA4CH、許毓嘉、シーさんがおられます。80歳は過ぎたというのにとてもお元気です。それもそのはず、14.180MHzのBY&BAネットでシーさんのお声が聞こえない日がないほど超アクティブな方です。 私とBA4CHの出会いは10年ほど前になります。今は亡きJA1CLN 笠原豊さんと上海のオールドタイマーの集まりに招かれた時に始まります。 なんとフランス・レストランで歓迎会を開いてくださり、笠原さんと私をBY4AOMの名誉会員に推挙してくださるという話に展開した思い出があります。もう一方、BA4CA黄先生も駆けつけてくださいました。

上海AOMの同窓会(?)左からBY4ALC、BA4CH、JA1FUY、BA4CA、BA4ADのみなさん。久しぶりの再会にワクワク
当時のOTたちの年齢は60台から70歳ぐらい、20名近くが集まりました。当時の代表はBA4AB 沈明網さんでした。沈先生は80歳を過ぎて体調が芳しくなく、ただいま市内の病院で入院生活を送っておられマイクを持つこともなくなったと聞きました。 この日はもう一人のOTのBA4AF、・申伯さんが夫人とともに顔を見せていました。・先生が待望の個人局を開設するときに、中古のTS-520をお世話しましたが、その後、故障してエンジニアの息子さんが奮闘の甲斐なく修理不能に陥り、新たにTS-520(10W)を贈った思い出があります。・先生の電波は10Wで弱いのですが、BYネットによくチェックインされています。

中国福利会&宋慶齢基金会を表敬訪問。右がマダム・シーターシン副主席(右)。BY4ALCが取り持つ縁でお付き合いをいただいているVIP。同会は宋慶齢・国家名誉主席が創設した乳児・児童と女性を支援する組織です。柄にもなく花束を贈り記念撮影に応じました
私がBY4AOMの名誉会員になってから北京のBA1CY周海嬰先生との出会いと交流があります。文学好きな方ならご存知でしょうが、阿Q正伝・狂人日記などで著名な魯迅の子息が周海嬰先生というわけです。 BA1CY周海嬰先生は、中国でもっともよく知られたアマチュア無線家でCRSA(中国無銭電運動協会)の顧問をやっておられましたが、いまはどうでしょうか、詳しいことは解りませんが、14.180MHzのBY・BAネットのリーダー的存在として活躍されております。周先生は上海AOMのメンバーでもあり、そのご縁で交友させていただいております。

話が横道にそれましたが、BA1CYに続いてどうしても記しておかなければならないのがBA1SS王傳善先生です。国務院の技術幹部を務められた方で来日経験も豊富です。私がはじめて王先生にお目にかかったのは北京で開かれたIARU(国際アマチュア無線連合)第3地域総会の会議場でした。中国の代表を務めておられましたので名刺をいただいて、BA1SSと知って親しみを覚えました。上海のBY4AOMを話題にしましたらよく知っているとのこと。BA1CYが親しい友人ということで話が弾みました。 後になって王先生がSSTVの愛好者であることがわかりました。 BYネットでBA1SSにブレークして14.230MHzにQSY、SSTVで画像交換に成功しました。友達の輪を実感させられる出来事でした。

上海市奥林匹克倶楽部(オリンピッククラブと読む)に常設のクラブ局BY4AOH。HFトランシーバーはTS-850S Limited、SSTVの設備を備えています。同ホテルの宿泊客で運用許可書を所持していれば、運用させてもらえます


元政府高官の王先生が第3地域総会で中国を代表された理由を納得しましたが、まさかSSTVの愛好家であったとはパーティの会場で談笑したときも全く気付かなかっただけに、14.230MHz偶然の交信から交友が深まりました。その後、私が北京を訪ねたり、王先生が来日されたり・・・交友はいまも続いております。 そのBA1CY、BA1SS、BA4CHと今回の滞在先のクラブ局BY4AOHからBYネットにチェックインして交信できました。アマチュア無線冥利につきます。

この交信のアレンジしてくださったのがBA4AA徐儒先生、そしてBD4DY蒋クンでした。因みに蒋クンの現地読みはジァン、同ホテルのマネージャーです。上海師範大学を卒業して入社した頃から良く知っていますが、英会話が上手な好青年です。 念願のYAESU FT-736を手に入れて自宅に個人局を開設しました。職場のクラブ局BY4AOHの台長は社長の顧安義先生ですが、ジァンはそのBY4AOHの実質的な管理者として活躍しています。時折、SSTVコンテストに参加しますので、交信された方もおられるでしょう。同ホテルに泊まる機会がありましたら、ぜひマネージャーのジァンに声をかけてみてください。CRSAが発行する「ビジター用の運用許可書」を持参していれば、BY4AOHの運用が楽しめると思います。
 
■徐先生,MMSSTV講習で大活躍!
通訳を買って出てくれた友人のチェンさんこと元BY4ALCの鄭正文さん。左はBA4ADデヴィさんとその右はBA4EE、ダイさん(戴東海くん)、BY4BNSの若き指導者です
上海市軍事体育クラブのBY4AAのパソコンを使い、BA4AAの徐先生にMMSSTVの操作を特訓した件は、先に書きましたので説明を除きますが、とにかく徐先生はMMSSTVの操作をあっさりと習得されました。徐先生は以前、GSHPやJVFAX、WinPix、ChromaPixを使っておられ、JASTA主催のSSTVコンテストによく参加しておられましたので、SSTVのソフトには通じておられます。 その徐先生が、にわか講師の私を救ってくださったのですからラッキーとしか、言いようがありません。

「これから講義をはじめます」英語から中国に通訳されます。元BY4ALCの台長の通訳が時々滞るようになりました。スラント調整を説明する辺りからお手上げ状態になりました。専門用語を中国語へ変換するために説明が必要になり、私と通訳の鄭先生との間でマイクを外して小声で説明する時間が多くなりました。この状況を見守っていた徐先生がすっと立ち上がりました。 液晶プロジェクターが映し出すスクリーンを指差しながら中国語とうとうと流れるようなで説明
を始めました。私は手元のノートパソコンを操作するだけになりました。

BY4ABC JeffくんのQSLカード。上海の浦東新区の美しい夜景。ICレコーダー機転を利かしてくれたJeffクンは好青年!これからが楽しみな世代
スラント調整の機能を説明する場面で、受信画像が欲しくなりました。ノートPCはトランシーバーにつながっていませんし、さてどうしたらよいかと思案していましたら、聴衆のBD4ABCがICレコーダーを手にして飛んできました。MMSSTVのメイン画面で適当な写真を選んでから送信ボタンを押すとノートPCのスピーカーからピロピロ音がでてきます。これをICレコーダーで受信して、この音を再生してノートPCのマイクで受信。MMSSTVの受信画面には送信した画像が受信できるわけです。上手い具合に受信した画像が傾いていますから<傾き調整>の説明に打ってつけです。

BD4ABCJeffくんに救われました。ICレコーダーは講演を録音するために持ってこられたようでした。Jeffくんの機転に感謝! 徐先生のスラント説明がなめらかに続きます。私はまたもやノートPCを操るだけ!通訳も開店休業。徐先生の一人舞台になりました。送信画像のドラッグ&ドロップやテンプレートの実演でクライマックスを迎えました。Radio Commandについて質問を受けて、DTR/RTS制御によるPTT以外に、Radio CommandによりPTTを切り換えることができなど、マニュアルに書いてあることをかいつまんで説明しました。お終いに「ザッツ オール!」と締めくくりましたら、それに応えて盛大な拍手をいただきました。沢山の友人に助けられて 講習は大成功でした。
▼ 人気上昇の観光スポット「周庄」と「無錫の映画村」 ▼
入場券に印刷された周庄の家並み

▼昔の家並みそのままの周庄
上海郊外に新しい観光地が誕生したと聞いて日帰りで出かけことになりました。ご案内いただくのはSRSAの主席を務める顧安義先生、先にも書きましたようにオリンピックホテルの社長さんです。それに通訳として副社長の許さん、それに畏友・徐儒先生(BA4AA)とドライバーの総勢5人です。許さんは上海の名門復旦大学日本語学科を卒業の英才です。その日本語は美しくよどみなく日本人以上にきれいな発音です。

ハイエースのようなワンボックスカーで周庄を目指して高速道路をひた走りました。長い間、水路による交通に頼っていたと言うことで、 それが幸いして街中が明・秦の時代のまま、分かりやすくいい換えますと日光江戸村のような家屋や村の環境が完全に保存されています。江戸村と違うところは映画のセットではなくて、こちらは本物の重みがあります。しかも、いまも生活が営まれているのですから、上海の有名な豫園をしのぐ新しい観光地として中国でも有名になりました。なんでも周りが川と湖に囲まれていて橋が掛かるまでは交通不便な周庄だったといいます。

車で村に入るには入場券が必要です。チケット売り場は観光バスやタクシーなどでごった返していましたが、一歩村に入りますと、喧騒がウソのように静かです。川が縦横に流れ観光用の小船が行き来してなかなかの風情です。両技士には柳が植栽されています。その川の淵で洗濯や食器を洗う様子に出会い、またまた新鮮な驚きがありました。川の両岸には土産物屋が何十軒と続き、家並みは確かに昔のままでした。日本人の観光客の一団にも出会いましたからツアーに組み込まれているのでしょう。

しばらく歩いて街並みをそぞろ歩きましたが、船に乗って見ることにしました。
櫓をこぐのは娘船頭さんでした。マイカーならぬマイ船、船の値段は5千元。ひと月に三分の一働いて千元(1元:14円)、悪くない収入らしい。160艘の小船があり、3つの班に分かれて交替で仕事につく。「子供の頃から櫓をこいでいるよ」と屈託が無い。 船から陸を見上げる視線は低く、何を見ても珍しかった。道行く観光客は珍しそうに小船に視線を投げかけ、まるでディズニーランドのカリブの海賊のような自分も舞台で演技をしているような気分を味わった。昔の金持ちの豪勢な家も残っていて、古い時代の中国をしっかり楽しむことができました。

三国志テーマパークの入り口に作られたゲート。路上を走る三輪車に注目!観光客の足として活躍していました

▼無錫市に映画村が出現
観光地として有名な無錫市に映画村があると聞いて日を改めて出かけました。日本読みでムシャク、中国読みでウーシーといいます。ここには太湖という琵琶湖より大きな湖があります。ここには日本になじみの「無錫旅情」 があるそうで、太湖の傍らに日本語の歌碑を見つけました。日本人が訪問するとここで記念撮影をするそうです。そういえば蘇州夜曲も有名ですね。今年93歳になる拙父に無錫の話をしたところ、昔、行軍で立ち寄ったことがあると言っていました。日本と縁の地なのでしょうが、私の世代では昔のことは何も知りません。

太湖に出現した巨大な像と仏像群

高速船で湖の中に点在する大きな島に出かけてみました。見上げるような大きな仏像や岩山に彫刻された無数の仏像を見ましたが、あまり感動がありませんでした。聞いて見ますと近年、観光用に作られたそうです。道理で感動が無いはずと納得!カップルで散策する人たちも多く、経済繁栄の一端を見る思いでした。現地ガイドのマーさんにゆっくりと太湖を案内いただきました。目指すは映画村なので多少いらいら、でも現地の流儀に辛抱強く付き合ました。ホテルのレストランで昼食を済ませて映画村に向かいました。

三つの村がテーマごとに分かれています。中でも映画「三国志」の撮影に使われたテーマパークです。日本のテレビBS2で「三国志」を見ていましたから、撮影現場を見るのが楽しみでした。騎馬戦を見せてくれる馬場や城砦、軍船による戦った場所など、いずれも興味を引きました。セットを作るならいっそのこと本格的なものを作ッ手しまおう、撮影が終わったら観光客を入れて・・・、すでに入場料で建設費を取り戻したということです。中国らしいスケールの大きさで作られたセットを見てため息が出るばかり。土地の広さにとにかく圧倒されました。

 
※レポート:JA1FUY
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