72年前のex J4EAの交友から先達の活躍をしのぶ [第17回]
 
 
 

Editor Shinzaburo Kawai ,JA1FUY

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いつのころか「モービルハム」編集部へ送られてきた小包の存在をしばらくの間、思い出すこともなく忘れていましたが、書庫の整理に取り掛かっているときに当時のままの小包を発見しました。

差出人は植田常夫さん、コールサインはJA5NG、香川県大川郡白鳥町とあり、包みを開くと一通の手紙と黒い表紙のアルバムが出てきました。

このアルバムは 植田さんの親類のex J4EA、岡本良雄(香川県引田町)さんが遺された一冊で、昭和 8年(1933年)J4EAを開局のシャックが冒頭に飾られており、当時交流していたオールドタイマーの活躍がモノクロ写真に鮮やかに焼き付けられていました。

アルバムには昭和になって再び開局し活躍された有名なOMたちの写真を見ることができて興味深いものがあります。

すでに故人になられた方も少なくありませんが、そうした方々を織り交ぜて
アマチュア無線の草創期に活躍されたオールドタイマーの様子を遺された写真から追ってみたいと思います。

▼植田さんの手紙から抜粋

私の親類が大昔、昭和10年頃、J4CW、J4EAで出ていました。その頃の各局の写真を108枚いただいているのですが、私には見飽きて必要ありませんので、もし皆さんに見ていただけるようでしたら寄贈いたします。de JA5NG

写真のコールサインはJ4EA、J4CB、J3DZ、J3CW、J3EK、J3EH、J2KJ、J7CG、J1EG、J2HJ、J2CD、J2HE、J1EA、J6CO、J4CT、J4CF、J3EF、J3DO、J3DT、W6GPB、DE1178、J4CL、J3CX、J4CM、J4EM、J3DPJ3EM、J1DO、J2GXJ6CO
J6CPJ2GWJ2KQJ2HD、WA6GAL、J3DEJ3FK、W6FZYK6CGK、J2KJ、J1FF、J2HZ、J4CI、J2CC、J4CJ、J3FI、J2KP、MX2B、鳥取工業学校施設、MX2A、J4CO、J4CP、J2IX、J2LW、K6CQV、XU5KT、K6AKP、K6CGK、EA3DY、K6CRU、K4CQV、J5CM、VK3ERS、J4CG。

*色つきコールサインはご紹介済み 

J4CPとJ3EKのシャック

J4CP 中津江 功さん J3EK 岸本長彦一さん (兵庫県小田村)
 
     
 
昭和17年(1942年)はどんな時代か?
 
香山 晃著 電波実験社(昭和51年初版)

空白期


4  時差のミス


その夜、林田中尉は初通信の通信兵に畑中軍曹らを指名した。
「いいか、絶対に気どらないように打てよ」
「まあ、見ていてください。自信はあります」翌日、本部で苦心して書き上げた通信文の文案が深堀隊長に届けられた。 
  《通信点付近で日本軍は道路を建設中。通信点はマナット近くに移転完了。缶詰を開けていて右指負傷、通信ままならず》
読み終わった隊長は、ペンを取って追加した。
  《作戦道路はダラバイ付近まで完成》
少しくらいは本当のことを入れておこうという苦肉の策であった。航空写真と照合すれば、この通信の真偽は人目で分かるのだ。

18年10月8日の午後9時、畑中軍曹と、同じハム出身の上田軍曹の手によって初通信が打電された。ところが世紀の通信で、とんでもない失敗をやらかせてしまった。通信終了時刻を、日本軍の使っていた日本標準時(JST)の「9時」と打ってしまったのだ。メルボルンは時差があり、「10時」と打たなければ正確ではない。日本軍が全占領地でJSTを使っていたために生じたミスである。あとでこれに気づいた林田中尉は、青くなって深堀隊長に報告した。

「すべて私の責任、どんな処分でも受けます」
「やってしまったことは仕方がない。それに1時間ぐらいの違いなら、スパイの腕時計が狂っていたという解釈もあるだろう。くよくよするな」
とかえって力づけた。

謀略通信は成功した。メルボルンから日本軍の兵力、主力部隊名、飛行場の設置状況などを暗号で聞いてきた。そのたびに林田中尉は、でたらめの返電を打たせた。この通信の効果が立証されたのは12月24日、クリスマスイブのメルボルン放送であった。
  《われわれはチモール島に日本軍の精鋭4万人が待機していることを知っている。ことしはチモール進攻をを敬遠するが、爆撃は今まで以上に行うので覚悟されたい》

島内の日本軍は実数2万人、それを倍の4万人と錯覚した放送を聞いたとき、畑中軍曹らは手をたたいて笑った。
「ひとつ食糧を取り寄せてみては・・・」突飛な思いつきがわいたのは、18年も押しつまってのことだった。謀略通信の反響を調べるのにもってこいの名案だし、それに潜入スパイも食糧不足に悩んでいると思っているに違いない。こう想像されたからである。すぐさま文案が練られた。

  《原住民の協力を得られず、ジャングル生活を強いられ食糧入手不能。隊員に栄養失調者があり、至急食糧を空中投下されたし》
この通信を打電すると。間もなく反応があらわれた。
  《希望食糧と投下地点知らせ》すばやい反応に、日本軍が面食らった。
大急ぎで食糧リストをつくり、投下点を指定した。折り返し
  《B29、2機で投下する》
と返電してきた。

当日、現地人に変装した日本軍が待機する中、轟音を響かせてB29が飛来した。場所はマナット近くの川の合流点。B29は翼灯でQ符号を発した。合言葉である。地上から懐中電灯でK符号が返された。B29は高度を下げ、大きくせん回しながら食糧を投下していった。拾い集めてみると、20個もあった。落下傘を外しトラック1台分におさまった。クーバンの師団司令部で開けたところ、携帯口糧6か月分がはいっていた。食糧は戦利品として各隊に配分された。落下傘も回収され、開襟シャツに縫い直されて支給された。畑中軍曹らはこれを「豪州給与」と呼んだ。

豪州給与は日本軍のニセ電波で数度投下された。「こいつにありつける間は、謀略通信は健在だ」こういって林田中尉はほくそ笑んだ。19年になって間もなく、メルボルンから面倒なことを要求してきた。
  《さらに一組のスパイを上陸させる。時期と場所を知らせよ。スパイは落下傘で降下させる》

スパイ2号の潜入電を受け取った司令部はただちに逮捕の準備にはいった。林田中尉は
  《落下傘は危険である、われわれと同じく潜水艇で送り込むのが妥当》
と返電させた。数回のやりとりの末、スパイ2号は、1月29日午後11時、ダラバイ海岸に上陸することになった。当日夜、憲兵隊が武装してダラバイ海岸に待機、上陸を今や遅しと待ちかまえた。


5 スパイ2号も逮捕

林田中尉のひきいる迎撃隊はデルタ地帯の草むらにひそんだ。「スパイ全員を生け捕りにせよ」との至上命令があったからだ。丸腰で武器は持たず、現地人に変装していた。
「来たぞ」
低い隊長の声、ふと海面を見ると、一隻のボートがうすもやの中から、こちらに近づいてくるのが目にはいった。スパイ2号は白人2人、現地人3人。砂浜に着くと、口笛を吹きながら荷物の積み下ろし作業を始めた。別に警戒する風でもなかった。"スパイ1号"の電波を信頼しきっているようだった。林田中尉の合い図 で現地人がロバを連れて迎えに出ると、白人の大男がたずねてきた。
「ピリス中尉はどうした」
「山の上で待っている」
大男は疑いをはさまず、手はずどおり予備の無線機と電源、暗号書を土中に埋め、山頂へ向かって出発した。道の途中で、待ち伏せしていた兵がバラバラと組みついた。2人の大男は激しく抵抗したが多勢に無勢、到底迎撃隊の敵ではなかった。取調べに対し2人はジャクソン大尉、リップマン軍曹と名乗った。レインジャー部隊で知られるケインズ学校出身である。深堀隊長は畑中軍曹に命じてニセ電報を打った。
  《ジャクソン大尉ら着任、新任務につく》

折り返しメルボルンからまたやっかいな提案が返電されてきた。
  《ピリス中尉の報告を聞きたい。ジャクソンが着任したので、ピリスは帰れ、脱出計画を知らせよ》
深堀隊長は頭をかかえこんだ。ピリス中尉を帰すことは絶対にできない。適当な理由をつくってことわらねばならない。無理がなく敵に怪しまれないような理由は見当たらなかった。あべこべにアーストラリア軍の方は筋道が通っていた。新旧暗号書の交換が、スパイ2号の主要任務である以上、任務達成でスパイ1号を呼びもどして休養させるのは当然の措置である。

「一犬虚をほえて・・・か、こいつはとんでもない難題だな」
「隊長、海岸線の警戒が厳重になったことにしては・・・」
「駄目だよ、それじゃジャクソンはどうして上陸できたかと疑問がわくじゃないか」
名案が浮かばないまま日時はどんどん過ぎていった。
「スパイがマラリヤにかかったことにして、医薬品を受け取ろう」
一石二鳥の案が採用され、帰還命令の引き延ばし策として打電された。数日後、ボーイングB25が飛来し、医薬品10人分とメリケン粉などを投下していった。

一寸延ばしの回答には限度があった。ある日、深堀隊長は林田中尉、富田軍医らを呼んでおごそかに宣言した。「メルボルンの命令を拒否するためには、スパイを殺す以外に方法がない」
「というと消すわけですか」
富田軍医が驚いて右手で注射するまねをした。手がわなわなふるえていた。
「うん、メルボルンは電波望遠鏡でチモールの部隊を見ているようなものだ。消し方さえ誤らなければ問題ないぞ」
居合わせた人たちは首をすくめた。深堀隊長のいう意味が飲みこめ、ほっとしたようだった。「富田軍医は筋書きをつくれ、首切り役は無電隊だ。気づかれないよううまくやれ」いいおわると隊長は日本刀をつえに立ち上がった。

だがニセ電波でスパイ1号を消す必要はなかった。ピリス中尉中尉は風土病にかかり、みるみる弱っていった。富田軍医はいったん野戦病院におさめた医薬品を取りもどして、つきっきりで治療したが、その甲斐も空しく病死した。通夜の日、ニセ電波ははじめて真実をメルボルンに伝えた。
  《ピリス中尉病死》
返電は丁重なものだった。
  《戦病死をいたむ。勲功により大尉に任ず、メルボルン本部》


6 寛刑判決

スパイ電波は敗戦の8月15日まで休みなく続けられた。毎月1回平均で豪州給与を受け取った。敵機はB29がほとんどだったが、たまにブリストルなどの雷撃機のときもあった。投下品も食糧のほか、かみたばこ、ウイスキーなどのし好品から、時計、無線機、雑誌に及んだ。ペニシリンという抗生物質や積層乾電池はまだ日本に製品がなく、そのまま日本へ送られた。無電隊には外国語にたん能なものが選抜されて配属された。

欧文通信の上田軍曹、カリフォルニア農大出の神元兵長、大阪外語大出身の井上上等兵がメンバーとなった。敗色が濃くなった20年8月、メルボルンはポッダム宣言を伝え、降伏を勧告してきた。8月15日、スパイ電波は次のメッセージを送って、長かった謀略通信にピリオドを打った。
 《日本軍の追及急、通信続行不可能。しばらく送信を中止する》

戦後、オーストラリア軍はこのスパイ通信を調査した結果、「コマンドの準作戦行動であった」として不問に付した。企画立案者は罰せられず、畑中軍曹らスパイ電波に作戦にたずさわったものだけが、ポートダーウィンで軍事裁判を受けた。被告13人のうち禁固1年、3ヶ月、1ヶ月がそれぞれ1人、残り10人は無罪になった。

(「ハム半世紀」香山晃著 p.100〜106 電波実験社より抜粋) 絶版  

 

「ハム半世紀」著者略歴
香山 晃 本名:梶本俔良(かじもと・ちから) 昭和2年大分県に生まれる 31年読売新聞大阪本社に入社 大分支局、報道部を経て西部本社連絡部勤務 32年JA6UU開局 元JARL通信運用委員

 

JARL NEWS 1940年 2月 第87号より


今年への希望

新しい年を迎えて盟員諸兄にはそれぞれ今年のプラン、今年の希望をお持ちのことと思う、この盟員の集合体であるJARLもまた当然プラント希望を持たなくてはならない。

私はこのときに際して一つのプラントそれによって来るであろう希望について申し述べたい。

今まで我々ラジオアマチュアは各々の好むところにしたがってそれぞれに「よろこびをもって」そこに精通し続けてきた。そしてその一つ一つは取り立てて言うべきあるいはあまり小さなものかもしれないけれども、その集合体JARLは一つの力をいつの間にか備えるに至った。こうしてJARLは運行されてきた。これは正しい運行であると私は確信している。

しかしながら今我が国の直面しているこの時局、全国民があらん限りの力を合わせて努力すべきこのときにおいて我々は今一歩、今までの運行を押し進むべきではあるまいかと思う。即ち各々の好むところにところにしたがって精進するという考え方に進むべきであるまいかと思う。さらに言い換えれば個人のアマチュアラジオではなく、団体のアマチュアラジオへの進発を考えるべきでないかと思う。

我々JARLの仕事に携わる者は、今こうした考え方で今年のプランを練りつつある。そしてこれによって来るべき希望を明らかに見ている。これらの具体的事実は順次本誌を通じて諸兄に見えるであろう。諸兄の切なるご協力をお願いする次第である。諸兄のご協力こそはプランを基部の実現に運ぶ唯一の実力なのだから。

JARL本年への希望をぜひとも実現したい。そしてそれによって個人の個人の今年への希望もさらに強化されるであろうことを確信する。(15-1-6) J2GR  笠原 功一 

(編注:現代仮名遣いに変更しました。写真はJARL資料室収蔵)

 
J2CG 林太郎 ミュージアム(5)
 

1931-1979に活躍されたJ2CG 故林太郎さんの遺品の一部をYAHOOオークションで落札された岩岡氏(JG1AKM)のご好意により「QRA BOOK」 「QSLカード」 「戦前のJARL NEWS」など貴重な資料をQTC-Japan.comに寄贈いただきましたので、その中から珍しいカードを順次ご紹介して参ります。

 
W6ADK 1932年3月15日  W9FJR 1936年4月11日
 
 

[参考文献]

「アマチュア無線のあゆみ(日本アマチュア無線連盟 50年史)」 日本アマチュア無線連盟50年史編集委員会編
「日本アマチュア無線外史」 JA1CA 岡本次雄、JA1AR 木賀忠雄 共著 電波実験社
「ハム半世紀」 香山晃著 電波実験社
「JARLNEWS 1937年10月号」第66号 J2CG 林太郎氏の遺品から(JG1AKM岩岡氏提供)

編注:故人を付すること並びに
コールサインにEXをつけることを省略しています。

 
de JA1FUY

QTC-JAPAN.COM 2007.11.11
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