72年前のex J4EAの交友から先達の活躍をしのぶ [第16回]
 
 
 

Editor Shinzaburo Kawai ,JA1FUY

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いつのころか「モービルハム」編集部へ送られてきた小包の存在をしばらくの間、思い出すこともなく忘れていましたが、書庫の整理に取り掛かっているときに当時のままの小包を発見しました。

差出人は植田常夫さん、コールサインはJA5NG、香川県大川郡白鳥町とあり、包みを開くと一通の手紙と黒い表紙のアルバムが出てきました。

このアルバムは 植田さんの親類のex J4EA、岡本良雄(香川県引田町)さんが遺された一冊で、昭和 8年(1933年)J4EAを開局のシャックが冒頭に飾られており、当時交流していたオールドタイマーの活躍がモノクロ写真に鮮やかに焼き付けられていました。

アルバムには昭和になって再び開局し活躍された有名なOMたちの写真を見ることができて興味深いものがあります。

すでに故人になられた方も少なくありませんが、そうした方々を織り交ぜて
アマチュア無線の草創期に活躍されたオールドタイマーの様子を遺された写真から追ってみたいと思います。

▼植田さんの手紙から抜粋

私の親類が大昔、昭和10年頃、J4CW、J4EAで出ていました。その頃の各局の写真を108枚いただいているのですが、私には見飽きて必要ありませんので、もし皆さんに見ていただけるようでしたら寄贈いたします。de JA5NG

写真のコールはJ4EA、J4CB、J3DZJ3CW、J3EK、J3EHJ2KJJ7CG、J1EG、J2HJ、J2CD、J2HE、J1EA、J6CO、J4CT、J4CF、J3EFJ3DO、J3DT、W6GPB、DE1178、J4CL、J3CX、J4CM、J4EM、J3DPJ3EM、J1DO、J2GXJ6CO
J6CPJ2GWJ2KQJ2HD、WA6GAL、J3DEJ3FK、W6FZYK6CGK、J2KJ、J1FFJ2HZJ4CIJ2CCJ4CJJ3FI、J2KP、MX2B鳥取工業学校施設MX2AJ4CO、J4CP、J2IXJ2LWK6CQVXU5KTK6AKPK6CGKEA3DYK6CRUK4CQV、J5CM、VK3ERSJ4CG

*色つきコールサインはご紹介済み 

K6CGKのシャック


J3FI 岡谷重雄さん
のシャック (当時・兵庫県住吉村)


 
     
 
昭和17年(1942年)はどんな時代か?
 
香山 晃著 電波実験社(昭和51年初版)

空白期

1 変なシグナル

太平洋戦争でアマチュア無線の運用は全面的に禁止された。軍部が外国からの謀略通信を恐れたためである。すでに中国の重慶から蒋介石政権のものとみられる対日放送が行われていたし、アメリカのVOA放送も対日宣伝を強化する動きに出ていた。それでは戦時中のハムは沈黙し続けたかというとそうでもない。少数の例外があった。

開戦後、日本軍はなだれのように東南アジア諸国を席巻した。マニラ、香港、ジャワ、スマトラと向かうところ敵なく占領していった。ところがいっきに戦線を拡大したため、本国からの補給が追いつかない。パターン半島を逃れたマッカーサー連合司令官が、オーストラリアで反攻に転じ、ここから日本軍は密林と炎熱の中で持久戦に追い込まれていった。

昭和17年、インドネシアの東、小スンダ列島の孤島チモールは、日本陸軍によって占領された。チモール島の東部はオランダ領、西部はポルトガル領、オランダは交戦国だがポルトガルは中立国だった。「島にオーストラリア軍が駐留していた」という口実で全島を勢力下におさめた。南進戦略の最前線として確保したものだが、戦局の転回で守勢にまわり一年後、約2万人の将兵はジャングルにかくれた連合軍ゲリラの討伐と、現地人約40万人の治安の維持がおもな任務となった。


捜索四六連隊通信班の畑中軍曹はハム出身であった。駐屯地ラウテンで、常時師団通信隊との無線連絡にあたっていた。
「おや?変なシグナルが聞こえるぞ」
18年夏のある夜、三号無線機のダイアルを回していた軍曹が、何気なくつぶやいた。
「班長殿、何かあったとですか」
九州出身の部下が声をかけた。
「うん、軍の通信と違うシグナルだ。ちょっとワッチしてみてくれ」
といってレシーバーを部下に渡した。じっと耳をすましていた部下が突然声をあげた。
「本当におかしか電波ですな。数字ばかしで、こいつはスパイ通信と違うじゃろうか」
「いや、ハムの電波かも知れん。Q符号が多いのが気にかかる」

畑中軍曹にとって、オーストラリアにハムが多いことは常識であった。怪電波の存在は時を移さず無線隊長の林田中尉に報告され、綿密な分析が行われた。通信文のほとんどが数字で、ときたま無差別にアルファベットがまじっていた。Q符号とも違うと判断された。空中状態の比較的安定している夜間だけ交信している。小型無線機を使用している−などの意見が出された。とりあえず方向探知機を使って怪電波の正体を突き止めることに衆議一決した。「三号無線機はL型アンテナだったな、方探には向かないだろう」
「隊長、あんてなぐらいどうでもなります。今夜からアンテナ作って突き止めましょう」
その晩のうちに、畑中軍曹は一辺が3メートルもあるループアンテナを作り、基台を工夫してロータリー式の方探を完成した。


2 島内から発信?

面積約1万5千平方キロのチモール島、中央部に首都ディリー、東端にラウテン、西端にクーバンがある。その夜、ラウテンで行われた測定で怪電波はオーストラリアから来ることが分かった。しかし一箇所だけの測定で発信地点はつかめない。翌日、畑中軍曹はラウテンからやや西寄りのアリアンバタに出張し、二点測定を実施した。

畑中軍曹の報告は林田注意を驚かせるに充分だった。
「怪電波はオーストラリアからだけでなく、このチモール島内からも発信されています」
確信をもって公報告したからである。
「ということは、ハムの電波ではなく、スパイ通信の疑いが濃厚だな」
いいおわらぬうち林田中尉は車に飛び乗った。
  《テキさんもやるなあ、だがいまにみていろ、きっとひっとらえてみせる》

クーバンの師団通信隊で、情報参謀の柿沼中佐に、ことのしだいを詳細に報告した上、スパイ捜索を進言した。柿沼参謀にむらむらと闘志 がわいた。
「通信隊の総力をあげて、電波スパイの捜索活動を行え」
と命令した。島内六ヶ所に配置されている無電班の班長が呼び集められた。そして畑中軍曹から、ループアンテナづくりのてほどきを受けた。捜索の手順としては、毎夜午後8時以降の軍用通信を停止して、方探で電波探査をし、その情報を集めて地図の上にプロットして行く方法がとられた。

準備万端整った18年9月はじめ、電波スパイ摘発作戦がいっせいにスタートした。師団通信隊では、六ヶ所から集まった情報をもとに発信地点とみられる交点を求めた結果、一週間後、島内のスパイ網が明らかになった。島内に少なくとも三組の電波スパイがいること、これらのスパイはいずれも飛行場のあるラウテン、ディリー、クーバンの周辺から発信していること、さらに発信にあたって毎日、地点を移動していること、交信の相手方はオーストラリアのメルボルンであることなどである。

摘発作戦は第二段階を迎えた。実戦部隊でない通信隊にかわって、野戦憲兵隊が捜索を担当、通信隊が側面から協力する体制がとられた。野戦憲兵隊の追及がいっこうにはかどらず、いらだちはじめていたころ、ジャワから有力な情報がはいった。
  《元ポルトガル軍の国境警備隊長ピリス中尉が、中立を破ってオーストラリアを引き上げたのち、再びチモール  島に潜入した形跡あり》


3 スパイの逆用


現地人の村長野戦憲兵隊に呼び出し、ピリス中尉を知っているかと尋ねてみた。
「ピリス中尉なら子どもでも知っている。彼は愛人ブランカのいるバウカワに来るはずだ」
村長はいとも明解に答えた。憲兵隊はピリスを発見しだい通報するように指示して帰した。

9月下旬の暑い日、ピリスは4人の部下とともにバウカワに現れ、日本軍と交戦の末全員逮捕された。 無線機、暗号書もそっくり押収され、あっけない幕切れかと思われた。白人二人、現地人三人で構成されたスパイ団は「スパイ一号」と名づけられ、ディリーの東部防衛隊で取調べを受けた。これと並行して押収無線機の性能検査、暗号書の解読も進められた。取調べで、スパイたちはオーストラリアから潜水艦で運ばれ、夜間、ボートで潜入した。島内で主に日本軍航空隊の規模と動静を調べ、メルボルンの本部に打電するのが任務と分かった。他のスパイについては、知らぬ存ぜぬの一点張りで、口が固かった。

ピリスにとって最大の不運は、暗号書といっしょに通信記録を残していたことだった。この記録が糸口となり、暗号がだんだん割れてきた。暗号書の解読はジャワの陸軍謀略部隊が担当したが、全部アルファベットの二重転置式という初歩の暗号と分かったのである。

スパイ一号の身柄をどうするか−も問題だった。逮捕と同時に師団司令部へ指示を仰いでいたが、結論が出ないようであった。戦時捕虜なので、適当な地に軟禁する必要があったためであろう。ところが司令官の土橋中将は「スパイ逆用」を指示してきた。つまり無線機、暗号を利用してスパイを使い、ディリー地区で対敵謀略通信を開始せよ、という内容。東部防衛隊で関係者が集まり、作戦会議が開かれた。深堀隊長が緊張した表情で切り出した。

「スパイの逆用は日本の戦史に前例がない。敵の駒を利用するには、将棋を指す手に似ている。ことは新調に運ばねばならぬ。毛ほどのミスも許されない。もし手抜かりが発覚すれば謀略通信そのものがおじゃんになる。スパイづらをしてニセ電報を打つのは、だれが適任だろうか」
すかさず林田中尉が立った。
「それは私の無線対にやらせていただきたい。優秀な通信兵が揃っています」
「優秀な通信兵を使えば必ず成功するとは限らないと思う。むしろスパイのモールス能力に最も似通った通信兵を使うべきではなかろうか。なくて七癖といって、トンツーを打っても癖があるものだ」
「トンツーはみな同じものと思っていたが、人によってそんなに違うのか」
深堀隊長が疑問を投げかけたのを引き取って林田中尉が答えた。
「残念ながらおっしゃる通り、癖だけでなく個人個人の持ち味も違います」
深堀隊長は顔をしかめた。こいつはむずかしい問題だなーと直感した。一方、憲兵隊はスパイを使うべきだと主張した。

「司令部の指示も、スパイを逆用せよといっている。敵に見破られない方法はこれしかない」
林田中尉たちは考え込んでしまった。銃剣を擬されての通信を、スパイたちが承諾するとは到底考えられなかった。深堀隊長も同じ思いだった。最後に隊長が断を下した。
「スパイは捕虜だ。利敵行為をさせるに忍びない。林田中尉にこの仕事を命ずる。初通信は明晩、すぐ準備にかかれ」     (つづく)

(「ハム半世紀」香山晃著 p.95〜100 電波実験社より抜粋) 絶版

 

「ハム半世紀」著者略歴
香山 晃 本名:梶本俔良(かじもと・ちから) 昭和2年大分県に生まれる 31年読売新聞大阪本社に入社 大分支局、報道部を経て西部本社連絡部勤務 32年JA6UU開局 元JARL通信運用委員

 

JARL NEWS 1939年 10月号 第84号より


アマチュアと時局
     
   − 覆面子 −
 

JARL NEWS 1939年10月号第84号

◎法規からいえば我々の実験局は単なる実験から一歩も出られないが、この国際状勢にかんがみてアマチュアに対する我々自身の考えを反省するのも無駄ではない。

◎アマチュアは理論の探求等によって貢献するよりも、自分でつくった機械を自分で働かして楽しんでいる方がより賢明だろう。

◎しかし実験や機械の調節に名を借りたQSOを楽しんだりする時代は過ぎて、今の時節はアマチュアの個人個人の力よりは団体としての力望んでいるのではあるまいか。

◎JARLは趣味の集まりであり、地域的に分散した盟員を有するから、団体としての力を望むのには多少の困難がないでもない。また本部と盟員、盟員と盟員との相互の意思疎通のために、JARL NEWSの利用法は未だいくらでもあるはずだ。

◎JARLの台所をのぞいてみると、NEWSを3枚6頁にして1年に12回発行すると盟費収入と、とんとんだという。盟費月に30銭也を研究する方々よ、果たしてJARLはNEWS発行のみにて首が回らなくなってよいのか。

◎”NEWSを分厚にせよ”という声に応えるためには、広告を掲載してまかなう手もある。これはアマチュア、スピリットに反するや否や。HW OM!

◎例え分厚にできる視力があっても、今のような原稿のあつまりでは、とても片手間しごとではできまい。

◎エマージェンシー・コンテストに参加される大部分の方は蓄電池をご使用のようだが、いざというときにこのチャージの方法に万全を期せるかしら?

◎資力さえ許せば主要都市にセントラル局を置き、ガス・エンジンのダイナモ付きのセットをつくるとよい。

◎各人は30か33に90VのBを掛けて、中央局と連絡をとり、各都市の中央局同志がまた連絡を取って始めて、エマージェンシー・ネットの完成というべきである。

◎そぷなればエマージェンシー・コンテストも中央局とのQTC-QSOを含めてFBなものになろう。

◎JARLの事務を、より円滑によりアクティブになすには、今のような片手まではだめだ。事務員を置いたりするには、どうしても今の資力では無理だ。

◎一体十年も総裁也会長なり居ない会はあまり聞かないようだ。


 (編注:現代仮名遣いに変更しました)

 
J2CG 林太郎 ミュージアム(5)
 

1931-1979に活躍されたJ2CG 故林太郎さんの遺品の一部をYAHOOオークションで落札された岩岡氏(JG1AKM)のご好意により「QRA BOOK」 「QSLカード」 「戦前のJARL NEWS」など貴重な資料をQTC-Japan.comに寄贈いただきましたので、その中から珍しいカードを順次ご紹介して参ります。

 
VW6UP 1936年  W6FHQ 1932年
 
 

[参考文献]

「アマチュア無線のあゆみ(日本アマチュア無線連盟 50年史)」 日本アマチュア無線連盟50年史編集委員会編
「日本アマチュア無線外史」 JA1CA 岡本次雄、JA1AR 木賀忠雄 共著 電波実験社
「ハム半世紀」 香山晃著 電波実験社
「JARLNEWS 1937年10月号」第66号 J2CG 林太郎氏の遺品から(JG1AKM岩岡氏提供)

編注:故人を付すること並びに
コールサインにEXをつけることを省略しています。

 
de JA1FUY

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