| 72年前のex J4EAの交友から先達の活躍をしのぶ[第13回] |
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Editor Shinzaburo Kawai ,JA1FUY
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いつのころか「モービルハム」編集部へ送られてきた小包の存在をしばらくの間、思い出すこともなく忘れていましたが、書庫の整理に取り掛かっているときに当時のままの小包を発見しました。
差出人は植田常夫さん、コールサインはJA5NG、香川県大川郡白鳥町とあり、包みを開くと一通の手紙と黒い表紙のアルバムが出てきました。
このアルバムは 植田さんの親類のex J4EA、岡本良雄(香川県引田町)さんが遺された一冊で、昭和 8年(1933年)J4EAを開局のシャックが冒頭に飾られており、当時交流していたオールドタイマーの活躍がモノクロ写真に鮮やかに焼き付けられていました。
アルバムには昭和になって再び開局し活躍された有名なOMたちの写真を見ることができて興味深いものがあります。
すでに故人になられた方も少なくありませんが、そうした方々を織り交ぜてアマチュア無線の草創期に活躍されたオールドタイマーの様子を遺された写真から追ってみたいと思います。
▼植田さんの手紙から抜粋
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私の親類が大昔、昭和10年頃、J4CW、J4EAで出ていました。その頃の各局の写真を108枚いただいているのですが、私には見飽きて必要ありませんので、もし皆さんに見ていただけるようでしたら寄贈いたします。de
JA5NG
写真のコールはJ4EA、J4CB、J3DZ、J3CW、J3EK、J3EH、J2KJ、J7CG、J1EG、J2HJ、J2CD、J2HE、J1EA、J6CO、J4CT、J4CF、J3EF、J3DO、J3DT、W6GPB、DE1178、J4CL、J3CX、J4CM、J4EM、J3DP、J3EM、J1DO、J2GX、J6CO、J6CP、J2GW、J2KQ、J2HD、WA6GAL、J3DE、J3FK、W6FZY、K6CGK、J2KJ、J1FF、J2HZ、J4CI、J2CC、J4CJ、J3FI、J2KP、MX2B、鳥取工業学校施設、MX2A、J4CO、J4CP、J2IX、J2LW、K6CQV、XU5KT、K6AKP、EA3DY、K6CRU、K4CQV、J5CM、VK3ERS、J4CG。
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*色つきコールサインはご紹介済み
▼J3CW 塚村泰夫さんのシャック
(神戸市上沢通)
▼J3EH 大塚良雄さんのシャック
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(神戸市]林田区)
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| 香山 晃著 電波実験社(昭和51年初版) |
風にそよぐ電波
■電波オリンピック
「がんばれ、前畑リード、あと2メートル、あっ、前畑リード、勝った、前畑勝った、前畑の優勝です」
昭和11年8月11日午後11時半すぎ、ベルリンから送られた第11回オリンピック、河西アナウンサーの実況中継は文字通り日本中の血をわかせた。女子200メートル平泳ぎ決勝戦で、ドイツのゲネンゲル選手と接戦の模様である。
その10日前に開かれたNOC会議、次期開催国に日本も名乗りを上げていた。「東京36票、ヘルシンキ27票」、表決で東京開催が決まった。国内のオリンピック熱はいやがうえにも盛り上がった。日本勢はよく戦った。7日の3段飛び、10日のマラソンで優勝、11日からの水泳では、お家芸を発揮して次々に日章旗をあげた。時差の関係で実況放送は日本の深夜となったが、国内の熱狂は「前畑優勝」で頂点に達した。
声だけでない。ベルリンオリンピックでは、世界で初めて新聞写真を無線で電送するという快挙をやってのけた。表彰台に上がった日本選手の晴れがましい姿が連日の新聞を飾った。
はじめ「1日に約2枚」の予定で、会期16日間に30枚の写真を送ることにしていた。
ところが空中状態がよく、鮮明な受信画像が得られるため、予定枚数を越え総計52枚を送受信し、各紙の朝刊に掲載された。なかには新聞1ページに1枚をクローズアップした紙面もあらわれたほどだ。
この無線伝送のかげの主役が日本電気の柳瀬久二郎技師。彼はJ2GWのコールサインを持つハムでもあった。オリンピックの前後に技術的打ち合わせでドイツを訪問、DASD(ドイツ・アマチュア無線連盟)と交歓した。DASDではちょうど創立10周年にあたっていた。しかも次期オリンピックの開催国が日本ということもあって、日本のハムに好意的だった。
「電送テストのひまなとき、ちょこちょこ訪問したのですが、みんな歓待してくれましたね」
彼らからDASDがオリンピック記念コンテストを企画していることを知った。東京オリンピックのときには、さらに構想を広げ「電波オリンピックにしよう」との提案もうけた。のちにこの話を聞いた笠原功一さんは、JARL NEWSでこう提言している。
《ドイツのハムに負けないよう、私たちも東京オリンピックでは、無線を活用して、100万人の大合唱をやろうではないか。方法としては神宮競技場に10万人のコーラスを揃え、この歌声をハムの電波で遠くアジア各地のハムに伝える。上海やマニラでも合唱団を待機していて電波に合わせて歌う。その声をまた東京にフィードバックすれば、100万人の大合唱も夢ではない。アジアではじめてのオリンピックを、ハムの力でみんなでたたえることができるのだ》
東京五輪は戦火で開催が見送られ、電波オリンピックの夢も実らなかった。
(「ハム半世紀」香山晃著 p.81〜83 電波実験社より抜粋) 絶版
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■「ハム半世紀」著者略歴
香山 晃 本名:梶本俔良(かじもと・ちから) 昭和2年大分県に生まれる 31年読売新聞大阪本社に入社 大分支局、報道部を経て西部本社連絡部勤務 32年JA6UU開局 元JARL通信運用委員
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JARL
NEWS 1938年 FEBRUARY 第73号より
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アマチュア報国 -
J2KT 芳野 季文 -
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「アマチュア報国 J2KS栗山君を送る」(右下)の記事が掲載されたJARL
NEWS 1938年9月号 第78号
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関東支部幹事J2KS栗山晴二君、(1938年)7月2日召集令が下りました。翌3日午後7時からレインボーグリルでJARL関東支部送別会を開催し、参会者各自国旗に署名して贈り激励いたしました。
私はこの日、都合が悪く時間に間に合わず会合に出席することができないのが残念でしたが、閉会後忙しい時間を割いていただいて渋谷でJ2KGとも一緒でビールを呑んで話し合うことができました。
5日いよいよアンテナに別れる日、在郷軍人やその他数百名の歓送裡に午後5時熊野神社に参拝し、正に永年住み慣れた自由が丘の地とも別れを告げ、最近完成したFBな二組のアンテナに尽きない名残を惜しみながら夕方品川のご両親の許に落ち付き一夜をここで過ごしたのでした。
明くれば6日、空は快く晴れ渡り申し分のない入営日和です。8時すぎ家を出て隊に着きましたら、もうすでに営門前庭は一ぱいの見送り人です。しばらくして昨日と同じ悠々とした彼を見出し一入の懐かしさでした。
間もなくMHもやってきました。やがて定刻場内の拡声器が働き始めて、入隊の注意です。
万歳の声に送られて少しく紅潮したJ2KSを最後まで見送ってしまってからJ2MHと別れの挨拶を交わして帰ったのは10時40分頃でした。
栗山君は日ごろ国策青年と自ら号していましたが、このたび宿望が達せられ一意専心奉公の赤心に燃えて奉公袋にアマチュア免状を収容して無線をやるんだと張り切って入隊いたしました。
(編注:現代仮名遣いに変更しました)
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1931-1979に活躍されたJ2CG 故林太郎さんの遺品の一部をYAHOOオークションで落札された岩岡氏(JG1AKM)のご好意により「QRA BOOK」 「QSLカード」 「戦前のJARL NEWS」など貴重な資料をQTC-Japan.comに寄贈いただきましたので、その中から珍しいカードを順次ご紹介して参ります。
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| W6RO 1932年 |
W7AAX 1931年
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[参考文献]
「アマチュア無線のあゆみ(日本アマチュア無線連盟 50年史)」 日本アマチュア無線連盟50年史編集委員会編
「日本アマチュア無線外史」 JA1CA 岡本次雄、JA1AR 木賀忠雄 共著 電波実験社
「ハム半世紀」 香山晃著 電波実験社
「JARLNEWS 1937年10月号」第66号 J2CG 林太郎氏の遺品から(JG1AKM岩岡氏提供)
編注:故人を付すること並びにコールサインにEXをつけることを省略しています。
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de JA1FUY
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QTC-JAPAN.COM 2005.07.23
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